毎年春や夏に開催されるものと言えば、甲子園で行われる高校野球。
予選を勝ち抜いてきた各都道府県の強豪校が甲子園で火花を散らしますね。
最後まで何があるかわからないので、非常に見ごたえがあります。
そんな甲子園ですが、試合で負けた高校が最後土を持って帰るところを
見たことがある方も多いのではないでしょうか。そしてそれは、
いつからはじまったのでしょうか?
今回はそんな甲子園の土について紹介していきたいと思います。
甲子園の土はなぜ持って帰るのか?
高校野球ではおなじみの負けた高校が甲子園の土を持って帰る風習ですが、
なぜ負けたら土を持って帰るのでしょうか?
有力とされる2つの理由があるのでみていきましょう。
①甲子園に出場したという記念に持ち帰る
やはり、甲子園に出場できるというのは、そうそう簡単にできることではないですから、
出場できたということはは、かなり選手にとって、かけがえのない思い出となるでしょう。
そのため、甲子園に出場できた記念ということで土を持って帰るんだそう。
僕も選手だったらぜひとも持って帰って、一生の宝物にしたいほどですね。
[adsense]②甲子園で味わった悔しい思い出をばねにするために持って帰る。
予選を勝ち抜いて、ようやく甲子園に出場できたものの、
大健闘の末敗北を喫してしまい、選手たちの悔しさと言ったら、
とても計り知れないものとなるでしょう。それなので、土を見ることで、
次こそは甲子園で優勝するんだ!という気持ちを奮い立たせるために持って帰るんだそう。
このことは調べるまで、考えもつかなかったですね。
土をみて次こそ優勝するために頑張る選手の姿が目に浮かんできます。
甲子園の土を持って帰る風習はいつから?
いまでこそ、毎年恒例のように行われている、土を持って帰る風習ですが、
それではいったい誰がこのことを始めたのでしょうか。
諸説ありますが、有力とされているのは、あの有名な野球選手である川上哲治さんが
最初に行ったとされています。
そのエピソードとして、さかのぼること戦前。
1937年夏の甲子園野球において、川上さんの母校である熊本代表の熊本工業高校は、決勝戦までのぼりつめ、愛知県代表である中京商業学校と戦いますが、惜しくも、敗北し、
準優勝となります。
その際、川上さんは、試合が終わったあと、甲子園の土をユニフォームのポケットに入れて
持ち帰り、母校の練習場にまいたというエピソードにちなみ、それを機に甲子園の土を持って帰る風習が広まったんですね。
川上さんが土を持ち帰ったのがきっかけいうことは全く知らなかったですが、
かなり前から土を持って帰る習慣があったということに非常に驚きです。
豆知識:春と夏では甲子園の土は違っていた!
甲子園高校野球は春の大会と夏の大会がありますが、春と夏では土に違いがあるってこと、
みなさんは知っていましたか?おそらくご存知ない方が多いかと思います。
ではいったいなぜ春と夏では土が違うのでしょうか?
その理由とは、季節によって生じる問題を解消するためなんですね。
甲子園の土は、黒い土と砂を混ぜ合わせているのですが、選手たちのプレーに支障をきたさないよう、季節に応じて黒い土と砂の割合を変更しているんです。
春の割合は、黒い土が5なのに対して、砂も5にしています。
これは春は雨がよく降る季節のため、夏より水はけが優れている砂を
多く混ぜ合わせているんですね。
一方夏の割合は、いくつかというと、黒い土が6なのに対して、砂は4。
夏は太陽の照り返しが多いので、それによってボールが見えにくくなっては選手たちは非常に困るため、黒い土の量を多くして、ボールがわかりやすいようになっているんです。
なかなかこういった秘密はしらべてみないとわからないものですね。
さいごに
いかがでしたでしょうか。
今回は甲子園の土について紹介しました。
甲子園で惜しくも負けてしまった、選手たちが土を持って帰るのには、
上記で説明したほかにもさまざまな思いがあることでしょう。
今年はコロナウィルスが猛威をふるっているため、春の甲子園は中止となってしまい、
夏の甲子園も中止になりそうな感じなので、もしどちらも中止となってしまったら、
非常に残念でならないですね。
毎年当たり前のようにやっていたものが、見れなくなってしまうのは、すごく悲しいですし、
とっても寂しいです。
コロナができるだけ早く収束してくれることを願ってやまないです。
それではまた!
読んでいただきありがとうございました。
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