2024年7月、渋沢栄一が新一万円札の顔として登場しました。
「日本資本主義の父」として知られる彼ですが、その功績は日本国内にとどまらず、
かつて韓国の紙幣にも肖像が使われていたことをご存じでしょうか。
なぜ外国の紙幣にまで登場したのか——。
今回は、渋沢栄一の人物像から新札に選ばれた理由、
そして韓国紙幣に登場した意外な背景や知られざる豆知識まで詳しく解説します。
新一万円札を手に取るとき、その肖像に込められた歴史やメッセージが
きっと深く感じられるはずです。
渋沢栄一とはどんな人物?
まずは、渋沢栄一についてまだ詳しく知らない方のために、彼の生涯とその歩みを
ご紹介します。
渋沢栄一の生涯と功績
出典:ウィキペディア
渋沢栄一(1840-1931)は埼玉県深谷市生まれの実業家です。
約500社の企業設立に貢献しました。
第一国立銀行(現みずほ銀行)や東京株式取引所の設立をはじめ、
日本経済の近代化に大きな役割を果たしています。
また、道徳と経済の両立を説いた『論語と算盤』の理念は、現代の経営者にも
影響を与え続けています。
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渋沢栄一が「日本資本主義の父」と呼ばれる理由
渋沢栄一は株式会社制度の普及、産業育成、社会インフラ整備など、
近代日本経済の基盤づくりに尽力しました。
さらに教育・福祉・医療にも深く関与し、生涯で600以上の社会事業を支援した記録があります。
単なる経済人ではなく、公共の利益を重視したその姿勢こそが
「日本資本主義の父」と呼ばれるようになったのです。
渋沢栄一が一万円札の顔に選ばれた3つの大きな理由
それでは本題に入ります。
なぜ数ある歴史的人物の中から渋沢栄一が一万円札の肖像に選ばれたのか、
その理由を3つのポイントに分けて説明します。
日本の経済の基礎を築いたから
渋沢栄一は、日本で初めて本格的な株式会社制度を導入し、約500社の企業設立に
深く関わりました。
彼が築いた経済の仕組みは、現代の日本経済の根幹となっています。
銀行や株式市場を設立し、産業の発展に大きな影響を与えたことから、
「日本資本主義の父」と称される所以(ゆえん)です。
社会貢献や教育・福祉活動への多大な貢献
単に経済を動かすだけでなく、渋沢は教育や医療、福祉の分野にも熱心に取り組みました。
その活動は約600件にものぼり、企業家としてだけでなく社会事業家としても高く評価されています。
経済発展と社会の幸福の両立を目指したその姿勢は、
現代の企業経営やCSR(企業の社会的責任)にも通じるものがあります。
国際的な影響力と歴史的背景
出典:日本経済新聞
渋沢栄一は日本だけでなく、当時の朝鮮半島(現在の韓国)でも経済支援を行い、
第一銀行を通じて貨幣制度の整備や鉄道建設に貢献しました。
その功績から韓国の紙幣に肖像が採用されるほど評価されており、こうした国際的な影響力が
新一万円札に選ばれた理由の一つです。
国内外での広い活躍が、彼を新札の顔にふさわしい人物として際立たせています。
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新札デザインに込められた意味
渋沢栄一の肖像は、最先端の偽造防止技術で精巧に印刷されており、
日本で初めて「3Dホログラム」技術が導入されました。
見る角度によって渋沢の肖像が立体的に浮かび上がり、そのデザインは
「経済と道徳の調和」を表しています。
これはまさに彼の理念そのものを象徴しているのです。
他のお札に選ばれた人物と比較
新しい日本の紙幣には、渋沢栄一の他に、五千円札に津田梅子、千円札に北里柴三郎が
選ばれています。
なぜ彼らが選ばれたのでしょうか。
それぞれの人物の功績とともに見ていきましょう。
新五千円札の津田梅子
津田梅子の紹介
出典:ウィキペディア
津田梅子(1864-1929)は、日本初の女子留学生の一人です。
女子英学塾(現在の津田塾大学)の創設者でもあります。
6歳の時にでアメリカに留学し、帰国後は女性の教育発展に尽力。
津田梅子の教育理念は、女性の地位向上が日本の発展につながると信じ、
実際に多くの女性に教育の機会を提供しました。
五千円札の肖像画に選ばれた理由
津田梅子が新五千円札の肖像に選ばれた理由は、彼女の教育に対する貢献と、
現代における女性の地位向上への影響が高く評価されたからです。
彼女の業績は、男女平等や教育重視の価値観を象徴しており、現代社会においても
重要な意義を持っています。
新千円札の北里柴三郎
北里柴三郎の紹介
出典:ウィキペディア
北里柴三郎(1853-1931)は、「近代日本医学の父」と称される医学者です。
破傷風菌の純粋培養や血清療法の確立に貢献。
また、伝染病研究所を設立し、感染症対策において重要な役割を果たしました。
千円札の肖像画に選ばれた理由
北里柴三郎が新千円札の肖像に選ばれた理由は、
医学への貢献が現代の日本の医療体制の基礎を築いたからです。
彼の研究は、感染症の予防や治療において大きな影響を与え、
国内外で高く評価されています。
豆知識:渋沢栄一が過去に候補になっていた!?
実は渋沢栄一は、1963年に発行された千円札の肖像画の最終候補に残っていたんです!
当時は伊藤博文と渋沢栄一の2人が候補に挙がっていたのですが、
偽造防止の観点から「立派なヒゲがあるかどうか」が選考のポイントとなりました。
そして渋沢栄一はヒゲがなかったため、惜しくも選ばれず・・・
代わりにヒゲのある伊藤博文が肖像画に採用されたのです。
ちなみに現在は印刷技術が進歩し、ヒゲの有無にかかわらず選ばれるようになったため、
渋沢栄一は2024年に新一万円札の肖像として返り咲きを果たしました。
渋沢栄一お札の肖像画になった理由のまとめ
今回は渋沢栄一が一万円札の肖像画に選ばれた理由についてまとめました。
渋沢栄一が新一万円札に選ばれた背景には、経済発展への多大な貢献、教育・福祉など
社会全体への奉仕、そして国際的評価があります。
新札の肖像に込められたメッセージを知れば、手元のお金に刻まれた歴史が
より深く感じられるはずです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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