熊本城には別名があった!?熊本城にまつわる豆知識も紹介!

熊本城 雑学

熊本で有名な観光名所の一つと言えば熊本城。

2016年に起きた熊本地震では、最大震度7が2度も起きるなど、

大きな地震が熊本を中心として襲いましたが、それにもかかわらず、熊本城は、

被害を受けたものの、倒壊しなかったことで話題となりましたね。

何百年も前に建てられているのに本当にすごいとしか言いようがないです。

 

そんな熊本城ですが、熊本城には別名があったことをみなさんは、ご存知でしょうか。

そこで今回は熊本城には別名があるということについて紹介したいと思います。

また熊本城にまつわる豆知識も紹介しますので最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

 

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熊本城の概要

本題に入る前にまず熊本城はどういったお城なのかについて説明したいと思います。

 

熊本城は室町時代に出田(いでだ)秀信千葉城を作ったのがはじまりとされており、

その後江戸時代になる少し前に熊本の有名人である加藤清正公が城主となり、

城郭を築き始めます。

 

1606年に城が完成したことを祝福し、それまでの名前であった隈本を熊本と改めます。

これが現在における熊本城なんですね。

 

明治時代になると熊本城は西南戦争において、戦場と化し、

政府軍の拠点に使用されることとなったんです。政府軍の数は4000に対し、西郷隆盛率いる薩摩軍の数はなんと14000。政府軍よりはるかに多いのに、見事に攻撃を耐えることに成功し、

とりわけ武者返しという簡単に登ることが出来ない石垣の構造があったおかげで、一人たりとも、

城の中に入り込むことができなかったんだそう。

 

さらに陸軍の関連施設も作られ、

のちに重要文化財となり、太平洋戦争前には陸軍が熊本城を拠点とし、

度重なる空襲に遭いますが、それでも難を逃れ奇跡的に焼失することなく残ったんですね。

 

その後2006年には日本百名城の一つに選ばれ、桜の名所にもなっています。

そして現在も地震による被害を修復するために修復工事が行われているんですね。

 

 

 

 

熊本城の別名とは?

本題に入ります。熊本城はこの名称の他に違う名で呼ばれることもあるのですが、

いったいなんでしょうか。

 

その名称とは、銀杏城と呼ばれているんですね。

 

銀杏

 

城主であった加藤清正公によって多数植えられましたが、

これはいったいなぜなのかと言いますと、加藤清正公がかつて朝鮮出兵で籠城した際、

食糧不足に遭い、大変つらい思いをしたという経験から、もし再び籠城することがあったとしても、銀杏の実を食べて飢えをしのぐために植えたといわれているんですね。

 

またこの銀杏の木を植えた際、加藤清正公は、「この木が、ちょうど天守と同じ高さになった時、

この城で、戦がおきるだろう」と呟いた言い伝えがあったんだそう。

そして上記で述べたように、西南戦争において熊本城が戦場になったのですが、

その時本当に銀杏の高さが天守と同じくらいになっていたんだとか。

 

ちなみにこの銀杏の木は西南戦争によって燃えてしまい、のちにその銀杏の木が植わっていたところから新しい芽がでてきて育っていき現在に至ります。ただ初代のものより小さく、天守の高さまでには至っていません。

 

言った事が事実なってしまうとは、加藤清正公は予知能力があったのでしょうか。

本当にすごいですね。

城内にもさらに驚くべき秘密があった!

さきほど城外において食糧確保のために銀杏の木が植わっていると説明しましたが、

実は城内においても驚くべき仕掛けががほどこされていたのです。

 

その仕掛けとは、やはり食料確保に関する仕掛けだったんです!

 

これも朝鮮出兵の長期にわたる籠城でのつらい経験から、畳の芯には通常ですと、

わらを使用するのですが、これを食べられる里芋の茎を利用したり、

壁には日持ちするかんぴょうも塗り込んであるんですね。

 

熊本城は攻め入られるのが難しい作りとなっているだけでなく、長く籠城できるようにと、食糧をしっかりと準備し、万全に万全を喫しているお城だったというわけなんですね。

 

加藤清正公、実に抜け目がない!

 

豆知識:復元工事された際、大工さんによってあるものが彫られていた!?

ここで熊本城にまつわる豆知識を紹介します。

熊本城がたってから何百年も建っていますので、壊れることのないよう、

復元工事が行われましたが、その際、大工さんによってあるものが彫られていたのを

ご存知でしょうか。

 

これはおそらくあまり知られていないので、多くの方がご存じないかもしれません。

 

ではそのあるものとは、銀杏の葉っぱとフクロウが彫られているんですね。

その写真がこちら!

イチョウの葉とフクロウ出典:熊本城

 

いずれも復元工事の際大工さんによって木材の節を取るために遊び心で彫られたもので、

銀杏の葉っぱは数寄屋丸二階御広間の梁に、フクロウは飯田丸五階櫓に彫られているのですが、

現在熊本地震による復興工事でその場所は見ることができないため、修復工事が終わった時に

もし熊本城を訪れる機会があったら、ぜひとも探してみてくださいね!

 

以上熊本城にまつわる豆知識でした!

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は熊本城の別名は何であるのかについてと、熊本城にまつわる豆知識を紹介しました。

 

熊本城の別名は「銀杏城」で、籠城の際、食糧確保のために植えられたものでした。

 

熊本地震によって、被害を受けてしまったものの、全部倒壊するまでには至らなかったので、

多くの方々に生きる希望を与えたのではないでしょうか。

もしかしたら現在も大切に熊本城や大イチョウを大切に残してくれていたため、

加藤清正公が守ってくれたのかもしれないですね。

 

それだから、これからも熊本城に限ったことではないですが、

昔からずっとあるものは大事に残していきたいですね。

 

それではまた!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

 

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