国の政治の中心、国会議事堂。
テレビで見かけることはあっても、中のことは意外と知らない人が多いのではないでしょうか?
実はこの国会議事堂の中央広間は「銅像が3体だけ」というちょっとした謎を秘めています。
しかも、よく見ると何も乗っていない“空の台座”**まであるんです!
「一体なぜ?」
「誰の銅像?」
「空の台座にはどんな意味が?」
今回はそんな「国会議事堂にまつわる不思議」と、ちょっとした豆知識までご紹介。
この記事を読めば、思わず誰かに話したくなるかも…!
国会議事堂の銅像になっている人物とは
国会議事堂の中央広間には、3体の銅像が静かに立っています。
それぞれが日本の議会政治の礎を築いた人物。
誰もが一度は名前を聞いたことのある偉人たちだったんです!
板垣退助(いたがきたいすけ)
「板垣死すとも自由は死せず」――
この名言で有名な彼は、自由民権運動の立役者。
議会の開設を国民とともに強く求めたことから、「国会の父」とも称されています。
伊藤博文(いとうひろぶみ)
この方は日本初の内閣総理大臣として、誰もが知る歴史上の重要人物です。
また、大日本帝国憲法の起草を主導した中心的な存在でもあり、
日本の近代国家としての礎を築きました。
そんな伊藤博文ですが、実はちょっと意外な一面も。
それは――「ふぐを広めた人物」だということ!
かつてフグは毒があることから、一般的には食べることが禁止されていました。
しかし、明治時代に伊藤博文が下関の料亭でふぐを口にし、「これはうまい!」と感動。
そのひと言がきっかけで、フグ食解禁の流れが始まり、やがて全国に広まっていったのです。
大隈重信(おおくましげのぶ)
最後に大隈重信についてです。
この方も内閣総理大臣を務め、さらに早稲田大学の創設者としても知られており、
多くの方に馴染みがあるのではないでしょうか。
日本初の政党内閣の総理大臣として、立憲改進党のリーダーを務め、
議会政治の確立に大きく貢献しました。
[adsense]
もうひとつの主役? “空の台座”の秘密
人の銅像のすぐ横に、ぽつんと空っぽの台座。
「誰かの銅像を忘れたの?」「途中で作るのやめたの?」――そう思ってしまうかもしれません。
でも実はこの空の台座、ちゃんとした“意味”があるんです。
それは、「政治は未完成であり、常に努力し続けるものだ」というメッセージ。
もし“完成された政治”というものがあれば、それはすでに時代とズレ始めている証拠。
だからこそ、この空の台座は、未来の政治家たちへの問いかけでもあるのです。
銅像を作ったのは誰?
実はこの3体の銅像、すべて異なる彫刻家によって作られました。
-
板垣退助像:朝倉文夫(日本近代彫刻の父)
-
伊藤博文像:北村西望(長崎・平和祈念像の作者)
-
大隈重信像:建畠大夢(芸術院会員)
意外と知らない豆知識:国会議事堂には酸素ボックスがあった!?
出典:国会トリビア
ここで国会議事堂にまつわる豆知識を紹介します。
かつて、衆議院本会議場の入り口には「酸素ボックス」と呼ばれる設備があったのをご存知ですか?
これは、1966年の長時間にわたる委員会開催により、議員の体調を考慮して設置されたもの。
中には椅子・酸素ボンベ・吸入マスクが完備されており、
議員たちはそこで新鮮な酸素を吸ってリフレッシュしていたそうです。
ちなみにこのボックスの中には、防災頭巾も。
天井がステンドグラスのため、万が一の割れに備えての対策なんですね。
まとめ:国会は「完成していないからこそ」意味がある
国会議事堂の銅像3体と、何もない空の台座。
どれも見逃してしまいそうな存在ですが、その一つひとつに深い意味と歴史が詰まっています。
もしかすると、空の台座が語る“未来へのメッセージ”に、
私たち一人ひとりが向き合うべき時なのかもしれません。
もし次に国会見学に行くことがあれば、ぜひこの銅像たちにも注目してみてくださいね!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
コメント