衆議院と参議院からなる国会議事堂。
最近は安倍総理大臣の持病が悪化したため、辞任することとなってしまい、
次の総理大臣は誰であるか、その話題で持ちきりですね。
あまりにも急な辞任だったため非常に驚いた方も多いのではないでしょうか。
僕もみなさんと同じようにとても驚きました。
そんな国会議事堂ですが、国会議事堂の中には3人の銅像があることをご存知でしょうか。
あまり国会議事堂に行く機会はないと思うのでご存知ない方も多いかもしれません。
さらにそこには銅像が乗っていない台座もあったんです!
そこで今回はこの国会議事堂の銅像および誰も乗っていない台座について紹介したいと思います。
また国会議事堂にまつわる豆知識も紹介しますので最後まで読んでいただけると嬉しいです。
国会議事堂の銅像になっている人物とは。
国会に勤めている方にはおなじみの銅像。
昭和13年に大日本帝国憲法発布50周年を記念してこの銅像は作られました。
ではいったいこの銅像にはどんな人が銅像になっているんでしょうか。
順にみていきましょう。
板垣退助
まず板垣退助ですが、板垣退助は自由民権運動を推進したことで非常によく知られていますね。
自由民権運動を推進したことで国会がつくられるきっかけとなったので、
国会建設に多大なる貢献をしたんですね。
伊藤博文
続いて伊藤博文ですが、この方も初代内閣総理大臣として、非常によく知られている人ですね。
大日本帝国憲法の起草を作成するにあたり、中心的な存在となっていたんです。
また伊藤博文はふぐを広めたことでも知られている人物であり、
かつてフグ食が一般的に禁止されていたのですが、明治時代になって、料亭で伊藤博文が食し、
これはおいしい!となったのがきっかけで、どんどん世間に知れ渡るようになったんですね。
大隈重信
最後に大隈重信ですが、この方も内閣総理大臣になったり、早稲田大学を建設したりと、
比較的多くの方がご存知なのではないでしょうか。
日本初の政党内閣の総理大臣で、立憲改進党のリーダーをつとめ、
議会政治の設立に多大なる貢献をしました。
[adsense]
台座の上になにもないのはなぜ?
上記では3人の銅像になっている人物について簡単に説明しましたが、
銅像をのせるための台座がもう一つあるのですが、そこには銅像は乗ってないんです。
ではいったいなぜ銅像が乗ってないんでしょうか。こちらがその画像です。
その答えは政治には完成がなく、未完の象徴となっているからなんですね。
政治が完成されていたら、どうでしょうか。
時がたつにつれて、いつまでも完成された状態を維持していたら、
時代とミスマッチしてしまい、生きづらい世の中となってしまいますね。
そのため、そうならないように、政治家は常に精進せよというあるべき理想を、
この台座で示しているというわけなんですね。
ちなみに国会議事堂の銅像の作者は、朝倉文雄、北村西望、建畠大夢という人たちがそれぞれ
1体ずつ作製しました。
豆知識:国会議事堂には酸素ボックスがあった!?
ここで国会議事堂にまつわる豆知識を紹介します。
国会議事堂には実は酸素ボックスが設置されていたことはご存知でしょうか。
これはおそらくほとんどの方がご存知ないのではないでしょうか。
国会議事堂の衆議院本会議場入り口にあるのですが、
ではいったいなぜ酸素ボックスが設置されているのかと言いますと、
1966年5月におこなわれた委員会に置いて、長時間に及ぶものだったため、
国会議員は疲れてしまっているのではという気遣いから、酸素ボックスが設置されたんですね。
この酸素ボックスは上記の写真のように、公衆電話ボックスの形状をしており、
椅子と、酸素ボンベが置かれて、吸入マスクを装着すれば、
そこで新鮮な酸素を吸うことができるんです。
またこの椅子の下には防災頭巾が設置されていて、天井がステンドグラスで出来ているため、
災害が起きたときにガラスの破片が下に落ちてきてしまう恐れがあるので、
防災頭巾が設置してあるんですね。
以上国会議事堂にまつわる豆知識でした!
さいごに
いかがでしたでしょうか。
今回は国会議事堂の銅像になっている人物と銅像がのっていない台座の秘密についてと、
国会議事堂にまつわる豆知識を紹介しました。
小学生の頃、国会に見学しに行ったことがあり、この銅像を確か見た記憶があるのですが、
その時はまだ何も乗っていない台座のことを知らなかったのですが、今日そのことがわかって、
すっきりしました!僕とおなじ悩みを持っていた方もこの記事を読んですっきりしてくれたら幸いです。
それではまた!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
コメント