俳優として活躍する一方、自然を愛する生き方でも多くの人に親しまれた柳生博さん。
その人生を長年支え続けたのが、妻・二階堂有希子さんでした。
初代・峰不二子役として知られる二階堂さんは、華やかな世界で活躍しながらも、
人生を大きく変える決断を下します。
さらに、夫婦で築き上げたものや、晩年まで寄り添い続けた歩みにも、
多くの人の心を打つ物語がありました。
そこで今回は、二階堂有希子さんの経歴や柳生博さんとの馴れ初め、夫婦の歩み、
そして晩年まで詳しく紹介します。
柳生博の妻・二階堂有希子のプロフィール&経歴
二階堂有希子のプロフィール

- 名前:二階堂 有希子(にかいどう ゆきこ)
- 本名:柳生 加津子(やぎゅう かつこ)
- 生年月日:1940年10月27日
- 没年月日:2026年7月3日(享年87歳)
- 出身地:東京都(旧:東京市淀橋区、現:新宿区)
- 身長:159 cm
- 職業:女優、声優
二階堂有希子の経歴|女優から初代・峰不二子、そして家族を支えた人生へ
二階堂有希子さんは、高校卒業後に劇団俳優座養成所へトップの成績で入所し、
女優として芸能界デビューしました。
1960年代には映画やテレビドラマ、舞台などで幅広く活躍し、着実にキャリアを積み重ねます。
その後、長男の誕生を機に活動の中心を声優へ移すと、
1971年放送の『ルパン三世』第1シリーズで初代・峰不二子役を担当。
一躍注目を集めたほか、『母をたずねて三千里』や『忍風カムイ外伝』などの人気作品にも出演し、
洋画の吹き替えでも数多くの名女優の声を担当しました。
1972年に次男を出産した後は芸能界を引退し、家庭を優先する道を選択。
さらに1989年には、夫・柳生博さんが開設した「八ヶ岳倶楽部」の初代社長に就任し、
夫婦で自然と共に歩む新たな人生をスタートさせました。
柳生博と二階堂有希子の馴れ初め
劇団俳優座で運命の出会い!柳生博の一目惚れ
柳生博さんと二階堂有希子さんが出会ったのは、劇団俳優座養成所の同期生だった頃でした。
当時、柳生さんは東京育ちの二階堂さんに一目惚れし、
積極的にアプローチを続けたそうです。
しかし、周囲には2人の交際を心配する声も少なくありませんでした。
それでも柳生さんの真っすぐな思いは届き、やがて2人は交際をスタートさせます。
売れない時代も支え合い、夫婦として新たな人生へ
交際当時は、二階堂有希子さんが先に活躍する一方で、
柳生博さんはまだ売れない俳優でした。
生活は決して楽ではなく、柳生さんは生活費を稼ぐために麻雀をしていた時期もあったそうです。
それでも2人の絆が揺らぐことはなく、1964年に結婚しました。
苦しい時代をともに乗り越えたことが、その後の長い夫婦生活の土台となりました。

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夫婦で叶えた自然に囲まれた理想の暮らし
苦難を乗り越えて育てた「八ヶ岳倶楽部」の森
柳生博さんと二階堂有希子さんは、自然を愛する夫婦としても知られていました。
1989年、2人は山梨県北杜市に「八ヶ岳倶楽部」をオープンします。
しかし、今のような美しい森が最初から広がっていたわけではありません。
実はこの土地は、かつて広葉樹が広がる豊かな森でしたが、
昭和20年の大規模な山火事によって一度失われ、その後は針葉樹の人工林となっていました。
そんな場所を「もう一度、本来の森に戻したい」と考えた柳生博さんは、
家族や仲間たちと一緒に木を植え、枝を整え、草を刈るなど、地道な作業を何年も続けました。
二階堂有希子さんも初代社長として八ヶ岳倶楽部を支え、
夫婦で少しずつ理想の場所を形にしていったのです。

長い年月をかけて育てられた森は、今では多くの植物や生き物が息づく、
訪れる人の心を癒やす特別な空間になっています。
苦難を乗り越え、長い年月をかけて育てられた八ヶ岳倶楽部。
そんな背景を知ってから訪れると、目の前に広がる森や空間が、
また違った特別なものに感じられるかもしれません。
妻が生み出したフルーツティーが大人気メニューに
八ヶ岳倶楽部を訪れたら、ぜひ味わいたいのが二階堂有希子さん考案の「フルーツティー」です。
旬のフルーツをたっぷり使ったこの一杯は、
創業当時からの看板メニューとして多くの人に親しまれてきました。
美しい森を眺めながら味わうフルーツティーは、八ヶ岳倶楽部ならではの魅力のひとつ。
夫婦が大切に育ててきた温かな空間とともに、今も多くの人を癒やし続けています。
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柳生博と二階堂有希子の子供 受け継がれた家族の絆と知られざる試練
柳生博さんと二階堂有希子さんの間には、
長男・真吾さん、次男・宗助さんの2人の息子がいます。
それぞれ異なる人生を歩みましたが、
家族が大切にしてきた「自然を愛する心」は、今もしっかりと受け継がれています。
一方で、その歩みは決して順風満帆ではなく、家族に大きな試練が訪れたこともありました。
息子たちの経歴や親子の感動エピソード、壮絶な出来事については、
こちらの記事で詳しく紹介しています。
二階堂有希子の晩年 家族に見守られながら穏やかな最期を迎える


認知症と向き合い、穏やかな日々を過ごした晩年
二階堂有希子さんは2013年ごろに認知症を発症し、
その後、長男・真吾さんを亡くしたことをきっかけに解離性健忘も併発しました。
以降は介護施設で約11年間生活し、次男・宗助さんによると、
施設スタッフの温かな支えのおかげで、晩年は穏やかで幸せな時間を過ごしていたそうです。
夫への思いを胸に、87年の人生に幕
2015年には『ルパン三世DVDコレクション』のインタビューが最後の芸能活動となりました。
2022年に夫・柳生博さんを見送った後も静かな日々を送り、
2026年7月3日、老衰のため87歳で永眠。
家族葬で見送られ、お別れの会は開かれませんでしたが、
八ヶ岳倶楽部では記帳所が設けられ、多くの人がその死を悼みました。
二階堂さんが大切にしてきた自然や温かな人柄は、
今も八ヶ岳倶楽部のあちこちに息づき、訪れる人々を優しく迎え続けています。
まとめ
今回は、柳生博さんの妻・二階堂有希子さんについて紹介しました。
初代・峰不二子役として活躍した華やかな経歴だけでなく、
柳生博さんと支え合いながら歩んだ夫婦の時間や、自然を愛し続けた生き方にも、
多くの魅力が詰まっていました。
苦しい時代をともに乗り越え、八ヶ岳倶楽部というかけがえのない場所を築き上げた二人。
その歩みを知ると、おしどり夫婦と呼ばれた理由がよく分かります。
二階堂有希子さんが残した温かな思いや柳生博さんとの絆は、これからも八ヶ岳の自然とともに、
多くの人の心に残り続けることでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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