柳生博さんといえば、俳優として長く活躍しただけでなく、自然を愛する人としても知られています。
そんな柳生博さんには、人生に大きな影響を与えた2人の息子がいました。
自然と向き合う道を選んだ長男と、父とは違う道を歩んだ後に大切な場所を受け継いだ次男。
実は長男は幼い頃に大きな試練を経験し、その後、自然と向き合う人生を歩むことに。
一方、次男は父とは違う道を選んだ後、大切な場所を受け継ぎました。
それぞれ異なる人生を歩みながらも、父から受け継いだ思いや自然への愛情は、
しっかりとつながっています。
そこで今回は、柳生博さんの息子たちについて、プロフィールや経歴はもちろん、
長男の人生を変えた壮絶な出来事や親子だからこそ生まれたエピソードや、晩年・現在の姿まで
詳しく紹介します。
柳生博の息子・柳生真吾
柳生真吾のプロフィール

- 氏名: 柳生 真吾(やぎゅう しんご)
- 生年月日: 1968年3月3日
- 没年月日:2015年5月2日(47歳没)
- 出身地: 東京都
- 学歴: 玉川大学農学部卒業
- 職業: 園芸家、タレント
柳生真吾の経歴|10歳から始まった自然と歩む人生
柳生真吾さんと自然との付き合いは、なんと10歳の頃から始まっています。
父・柳生博さんと一緒に山梨県北杜市の八ヶ岳南麓へ通い、
雑木林づくりを手伝った経験が、後の人生につながっていきました。
大学卒業後は、園芸家として活動をスタート。
植物の知識だけでなく、自然の楽しみ方を伝えることにも力を入れました。
2000年から2008年までは、NHK『趣味の園芸』のキャスターを担当。
堅いイメージがあった園芸を、親しみやすく楽しいものとして多くの人に届けました。
また、『モリゾー・キッコロ 森へいこうよ!』などの番組にも出演し、
自然と共に暮らす魅力を発信。
父と作り上げた「八ヶ岳倶楽部」では、多肉植物や草屋根、焚き火鉢など、
真吾さんならではのアイデアを取り入れ、雑木林を「テーマパーク」のような場所へと育てていきました。

幼い頃から触れてきた自然を、自分らしい形で多くの人に伝え続けた――
それが柳生真吾さんの歩んだ道でした。
柳生博と柳生真吾の親子エピソード|自然がつないだ父と息子の絆
学校でのいじめをきっかけに…柳生博が下した大きな決断

柳生真吾さんがまだ小学生だった頃、父・柳生博さんが俳優として活躍していたことで、
学校でいじめに遭っていました。
ある日、真吾さんは頭から血を流して帰宅します。
息子の姿を見た博さんは大きなショックを受け、
自分が仕事ばかりで家族と向き合う時間を十分に作れていなかったことを振り返りました。
当時、年間何百本ものドラマに出演していた博さんは、
「家が溶けていく、壊れていくような気持ちがあった」と後に語っています。
そこで決断したのが、家族で山梨県の八ヶ岳南麓へ移り住むことでした。
「役者としてどう見られるかより、家族と一緒に自然の中で暮らそう」と考えたのです。

八ヶ岳の森での生活が始まると、真吾さんはまるで別人のように生き生きと変わっていきました。
自然の中で家族と作業する時間が、後の園芸家としての道につながり、
親子で雑木林を育てる長い年月の始まりとなりました。
父・柳生博も驚いた突然の報告
大人になった真吾さんは、園芸家として活動する中で大きな転機を迎えます。
それがNHK『趣味の園芸』の4代目キャスターへの抜擢でした。
実は真吾さん、この出演決定を父・柳生博さんに放送直前まで伝えていませんでした。
初めて知った博さんは驚いたものの、息子の成長を嬉しく感じたといいます。
真吾さんは、それまで年配の視聴者が多いイメージだった園芸番組に、新しい風を吹き込みました。
自然の魅力を分かりやすく伝え、若い世代にも園芸の楽しさを広めていったのです。
博さんはそんな真吾さんについて、「真吾って教わり上手なんですよね」と語っています。
幼い頃に父と一緒に作った八ヶ岳の雑木林。
その経験を土台に、真吾さんは自分自身の感性で自然の魅力を伝える存在へと成長していきました。
放送直前に初めてその知らせを受けた柳生博さんにとっても、
息子の成長をあらためて実感する、忘れられない出来事だったのかもしれません。
柳生真吾の晩年|病と向き合いながら最後まで自然を愛した日々

声を失っても変わらなかった自然への情熱
柳生真吾さんの晩年は、咽頭がんとの闘病の日々でした。
2015年5月2日、真吾さんは咽頭がんのため47歳という若さで亡くなりました。
闘病中は声を失いましたが、それでも自然への思いが薄れることはありませんでした。
父・柳生博さんとは筆談で会話を続け、「親父、カタクリまだ咲いてる?」と尋ねるなど、
最後まで植物への愛情を持ち続けていたといいます。
特にカタクリの花への思いは強く、
父が「カタクリ」と呼ぶと「カタクリ様だよ」と訂正するほど、その存在を大切にしていました。

闘病中も笑顔を絶やさなかった家族との時間
闘病中だったからといって、真吾さんは病気だけの人生を送っていたわけではありません。
妹の柳生直子さんによると、体調が許す時には家族で外食や神社参拝、映画鑑賞に出かけ、
自宅ではウクレレを弾いたり、味が分かりにくい状態でも家族のために料理を作ったりしていたそうです。
また、がんから一度回復した後には弟と石垣島マラソンに挑戦し、
シンガポールにいた弟を訪ねてカンボジアの地雷博物館を訪れるなど、
最後まで新しい経験を楽しもうとする姿勢を見せていました。
真吾さんの死後、父・柳生博さんは「早すぎる」「僕の子供としてありえないような勉強家」と語り、
息子の死を悼みました。
2015年5月18日には八ヶ岳倶楽部で「柳生真吾 お別れ会」が開かれ、約1300人が参加。
多くの人に愛された園芸家の旅立ちを惜しみました。
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柳生博の息子・柳生宗助
柳生宗助のプロフィール

- 生年月日: 1972年
- 年齢:54歳前後(2026年7月現在)
- 出身地:東京都生まれ
- 最終学歴: 立教大学卒
柳生宗助の経歴|兄の死で人生が大きく動き出す
柳生宗助さんは、大学卒業後すぐに父・柳生博さんのもとで働くのではなく、
一般企業へ就職し、自分自身の道を歩み始めました。
まず商社に勤め、その後は外資系の香料会社へ転職するなど、会社員として経験を積んでいきます。
当時、父が大切に育ててきた「八ヶ岳倶楽部」は、
兄・柳生真吾さんが中心となって受け継ぐ予定でした。
そのため宗助さんは、サラリーマンとして別の分野でキャリアを築いていたのです。
しかし、2015年に兄・真吾さんが亡くなったことで、人生の大きな転機を迎えます。
その後、宗助さんは八ヶ岳倶楽部を支える立場となり、
父と兄が大切にしてきた場所と向き合うことになりました。
父・柳生博との距離が縮まったきっかけ
柳生宗助さんは、若い頃「柳生博の息子」として見られることに、複雑な思いを抱いていたそうです。
父は俳優としても、自然と向き合う人としても大きな存在でした。
そのため「父の名前ではなく、自分自身の力で人生を歩みたい」という気持ちがあり、
父とは違う道へ進みました。
しかし、八ヶ岳で父と関わる時間が増える中で、少しずつ気持ちは変わっていきます。
自然を大切にする姿勢や、訪れる人とのつながりを何より大切にする父の姿を間近で見ることで、
以前とは違う角度から柳生博さんという人物を見るようになったのです。
かつては父の大きな存在から離れようとしていた宗助さんでしたが、
時間をかけて父の考え方や生き方を理解していきました。
父とは違う道を歩んだ時間があったからこそ、
後になって柳生博さんの生き方や思いを深く理解できたのかもしれません。
柳生宗助の現在|父から受け継いだ八ヶ岳の森は今
柳生博さんの次男・柳生宗助さんは、
現在も山梨県北杜市にある「八ヶ岳倶楽部」の代表を務めています。
八ヶ岳倶楽部は、森の中にレストランやギャラリーがあり、
自然を感じながらゆったり過ごせる場所です。

宗助さんは、父・柳生博さんが大切にしてきた「人と自然の仲のいい風景」という思いを受け継ぎながら
訪れる人が森の魅力を楽しめる場所を守り続けています。
また、柳生真吾さんの妻・柳生直子さんとも、森の案内や子供向けの林ツアーなどを行い、
自然の楽しさを伝える活動にも取り組んでいます。
さらに、八ヶ岳倶楽部の自然を守る取り組みは高く評価され、
2025年には環境省の「自然共生サイト」に山梨県で唯一認定されました。
父・柳生博さんが長い年月をかけて育ててきた八ヶ岳の森は、宗助さんへと受け継がれました。
そしてそこには、柳生家が大切にしてきた「自然と人がつながる場所」という思いが、
今も息づいています。
まとめ|柳生博が息子たちに受け継いだ大切なもの
今回は、柳生博さんの息子である柳生真吾さんと柳生宗助さんについて紹介しました。
長男・真吾さんは、幼い頃から父と作り上げてきた八ヶ岳の自然を受け継ぎ、
園芸家として多くの人に植物の魅力を伝えました。
一方、次男・宗助さんは、父とは違う道を歩んだ後、
家族が大切に育ててきた「八ヶ岳倶楽部」を守る役割を担っています。
2人の歩んだ道はそれぞれ違いますが、そこには共通して「自然を大切にする心」がありました。
俳優として有名だった柳生博さんですが、子供たちに残した一番大きなものは、
肩書きや名前ではなく、自然と向き合う生き方そのものだったのかもしれません。
親子で作り上げた八ヶ岳の物語は、これからも多くの人の心に残り続けていくことでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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