俳優や司会者として一時代を築き、明るい笑顔と親しみやすい人柄で愛された高島忠夫さん。
映画やテレビ番組で幅広く活躍し、昭和を代表するスターとして親しまれました。
そんな高島忠夫さんを陰で支え続けたのが、
元宝塚歌劇団のトップスターだった寿美花代さんです。
華やかなスター夫婦として知られた2人ですが、長い結婚生活の中では、
誰もが想像できないような苦しい時期もありました。
なんと寿美さんは、夫のそばに寄り添い、約10年間も支え続けたのです。
そこで今回は、高島忠夫さんの妻・寿美花代さんのプロフィールや経歴、2人の馴れ初め、
結婚生活エピソード、子供たち、そして晩年について紹介します。
高島忠男の妻・寿美花代のプロフィール&経歴
寿美花代のプロフィール

- 芸名:寿美花代(すみ はなよ)
- 本名:髙嶋節子(たかしま せつこ)、旧姓は松平
- 生年月日:1932年2月6日
- 没年月日:2026年8月3日(94歳没)
- 出身地:兵庫県西宮市
- 身長:162cm
寿美花代の経歴
寿美花代さんは、宝塚音楽学校を卒業後、宝塚歌劇団35期生として入団しました。
1951年に「蜜蜂の冒険」で少年役を演じたことをきっかけに男役へ進み、
翌年には「猿飛佐助」で初主演を務めます。
その後、星組の男役トップスターとして人気を集め、
ブロマイドの売り上げが全国1位になるほどの大スターへと成長しました。
1960年には代表作のひとつである「華麗なる千拍子」で芸術祭賞を受賞するなど、
宝塚を代表するスターとして活躍しました。
1963年に宝塚を退団すると、その後は家庭と芸能活動の両立を続け、
夫・高島忠夫さんとともに料理番組「ごちそうさま」の司会を26年間担当。
息の合った夫婦トークで人気を集め、「おしどり夫婦」として多くの人に愛されました。
高島忠夫と寿美花代の馴れ初め
寿美花代さんと高島忠夫さんとの出会いはテレビ番組の収録でした。
当時、寿美さんは宝塚歌劇団で活躍しており、
出演していたテレビ番組の収録にゲストとして訪れたのが高島さんだったといいます。
その出会いで寿美さんは高島さんに一目惚れ。
その後、自ら積極的にアプローチし、交際へ発展しました。
交際中には、高島さんから原稿用紙に書かれた大量のラブレターが届いたそうです。
そして交際から約2年後、プロポーズをしたのはなんと寿美さんの方でした。
1963年に結婚すると、寿美さんは宝塚を退団。
家庭を中心とした生活を送りながら、夫婦で芸能活動も続けていきました。
[adsense]
高島忠夫と寿美花代の結婚生活エピソード
夫のうつ病を約10年間支え続けた献身愛
1998年、高島忠夫さんが重度のうつ病を発症すると、
寿美花代さんは芸能活動を控え、自宅で約10年間にわたり夫を支え続けました。
周囲から介護施設への入居を勧められることもありましたが、「私が自分で面倒を見たい」と、
自ら介護することを選んだといいます。
当時の寿美さんは高齢でありながら、夫の身の回りの世話を続ける日々を送りました。
「『頑張って』これは言わなかったんです。淡々と普通にやっていた」
そう振り返った寿美さんの言葉からは、夫に負担をかけまいとする優しさがありました。
また、仕事から帰宅した際、高島さんが一日中座って待っていたソファのへこみを見て、
「切なくてトイレに行って泣いた」と語ったことも。
それでも涙を見せず、口紅を塗り直して笑顔で夫のもとへ戻り、
「きょうも男前やね!」と声をかけながら身だしなみを整えていたそうです。
その後、高島さんはパーキンソン病や不整脈も患いましたが、
寿美さんは「介護は苦ではなかった」と振り返っていました。
絶妙な掛け合いで愛されたおしどり夫婦
寿美花代さんと高島忠夫さんは、
テレビでも仲の良い姿を見せるおしどり夫婦として知られていました。
関西弁で繰り広げるテンポの良い会話や、互いに冗談を言い合う姿は、
多くの視聴者に親しまれました。
寿美さんが「横にいると私はしゃべらなくなっちゃう。しゃべるとすぐ批評するから」と話すと、
高島さんは「結婚した時は無口な二枚目と結婚したのが、
いつのまにかしゃべるおっさんが横にいる」と返すなど、息の合った掛け合いを披露していました。
また、2人は料理番組『ごちそうさま』の司会を26年間務め、
「夫婦げんかをしたことがない」と語るほど仲の良い関係で、
芸能界を代表するおしどり夫婦として愛されました。
3人の息子に恵まれた高島家
寿美花代さんと高島忠夫さんの間には、3人の息子が誕生しました。
しかし、華やかな芸能一家として知られた高島家には、忘れられない悲しい出来事もありました。
1964年、生まれたばかりの長男に大きな悲劇が一家を襲ったのです。
この出来事は、寿美さんや高島さんのその後の人生にも深い影響を与えることになりました。
その後、夫婦は家族の絆を大切にしながら2人の息子を育て上げます。
次男の髙嶋政宏さん、三男の髙嶋政伸さんは、両親の背中を追うように芸能界へ進み、
現在も俳優として活躍しています。
また、寿美さんは子育てにおいて「子供の良いところを見つけて伸ばす」ことを大切にしていました。
「叱って伸びるやつは、褒めたらもっと伸びる」という考え方は、
政伸さんが「髙嶋家の家訓」と語るほど、家族の中で大切に受け継がれています。
長男を失う悲劇を乗り越えながら、夫婦はどのように子供たちを育てたのでしょうか。
高島家に起きた出来事や、髙嶋政宏さん・髙嶋政伸さんを含む3人の息子たちの人生については、
こちらの記事で詳しく紹介しています。
妻・寿美花代の晩年…最後まで輝き続けた94年の人生
夫との思い出が詰まった自宅で暮らした晩年
2019年6月、夫・高島忠夫さんが88歳で亡くなった後も、
寿美花代さんは長年暮らした思い出深い自宅で生活を続けました。
半世紀以上連れ添った夫との思い出が詰まった場所を大切にし、
息子たちからの同居の申し出も断りながら、自分らしい暮らしを続けていたといいます。
しかし晩年は、誤嚥性肺炎による入退院を繰り返すようになりました。
息子の高嶋政宏さんによると、
最期の頃は食べ物や飲み物を飲み込むことが難しい状態になっていたものの、
苦しい状況の中でも時折、病院のスタッフが驚くほどの声量で話していたそうです。
宝塚時代から培った芯の強さは、最後まで変わることがありませんでした。
家族に見守られながら静かに旅立つ
2026年8月3日午前4時43分、寿美花代さんは老衰のため94歳で永眠しました。
三男の髙嶋政伸さんは、最期の様子について
「父と共に大好きだったフリオの歌声のなか、母は子供と孫に囲まれながら、
最期まで美しく凛とした表情のまま、眠るように旅立ちました」と明かしています。
葬儀は家族のみで執り行われ、お別れの会などは予定されていないと発表されました。
長男の髙嶋政宏さんも
「今は楽になって、ゆっくり休んでいるんだろうなという安堵の気持ちでいっぱい」と語り、
政伸さんも「いつもユーモアを忘れない明るく優しい母でした」と母への思いを寄せました。
最後まで周囲に愛され、凛とした姿を見せ続けた寿美花代さん。
その人生は、多くの人の心に残るものとなりました。
まとめ
今回は、高島忠夫さんの妻・寿美花代さんについて紹介しました。
宝塚のトップスターとして輝いた華やかな人生だけでなく、
高島忠夫さんとの出会いや夫婦として歩んだ日々、そして苦しい時も支え合った姿は、
多くの人の心に残るものだったのではないでしょうか。
長い人生の中では大きな悲しみも経験しましたが、家族を大切にし、
いつも明るさを忘れなかった寿美花代さん。
高島忠夫さんとの仲睦まじい姿や、周囲を笑顔にする人柄は、
これからも多くの人に語り継がれていくことでしょう。
最後までお読みいただいありがとうございました。

コメント