凛とした美しさと知性を持ち、自分の道を切り開いてきた岸惠子さん。
そんな岸さんが24歳のときに出会ったのが、フランスの映画監督イヴ・シャンピさんでした。
実は、シャンピさんが岸さんにかけた言葉が、とてもロマンチックだったんです!
二人はどこで出会い、岸さんの心を動かしたその言葉とは――。
さらに結婚後には、華やかなフランスでの暮らしや、夫婦の素顔が垣間見えるエピソードもありました。
しかし、18年にわたった結婚生活には、やがて大きな転機が訪れます。
離婚後も続いていた二人の関係とは――。
今回は、イヴ・シャンピさんのプロフィールや経歴、岸惠子さんとの馴れ初め、
ロマンチックなプロポーズの言葉、結婚生活、離婚の詳細、そして晩年まで紹介します。
岸惠子の元夫・イブシャンピのプロフィール&経歴
イブ・シャンピのプロフィール

出典:Wikipedia
- 生年月日:1921年2月9日生まれ、
- 没年月日1982年11月5日没
- 没年齢:61歳
- 出生地:フランス・パリ
- 職業:映画監督、医師
イブシャンピの経歴
イヴ・シャンピさんは、父は世界的なピアニストのマルセル・シャンピ、
母は著名なヴァイオリニストのイヴォンヌ・アストリュクという、まさに音楽一家で育ちました。
そんなシャンピさんが最初に学んだのは、意外にも医学でした。
ところが、映画への興味も強く、10代の頃からカメラで映像を撮り始めています。
戦時中には軍に加わり、カメラを手に戦場の様子を記録するなど、
次第に映画の世界へとのめり込んでいきました。
戦後は医学ではなく映画を職業として選び、助監督を経て監督へ。
1950年代には『Un grand patron』『頭上の脅威』などを手がけ、
フランスを代表する映画監督の一人として活躍しました。
岸惠子とイヴシャンピの馴れ初め


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岸惠子とイヴ・シャンピの結婚生活がすごい! 夫婦の愛情と驚きのエピソード3選
✈️ 7年間、夫がファーストクラスの航空券を用意
岸惠子さんがイヴ・シャンピと結婚してフランスへ渡ったのは1957年。
当時は日本から海外へ自由に行ける時代ではなく、
岸さん自身が日本に持っていたお金を海外で自由に使うこともできませんでした。
そんな岸さんのために、シャンピは1964年までの7年間、毎年日本への里帰りの航空券を用意。
しかも、毎回ファーストクラスだったといいます。
岸さんは後に、この航空券について「夫としてのイヴに今でも感謝している」と語っています。
遠くフランスへ嫁いだ一人娘を思う両親への気遣いもあり、
シャンピが毎年帰国できるようにしていたのでしょう。
そして日本へ帰るたび、岸さんには映画の仕事が舞い込みました。
夫の気遣いが、結果的に岸さんの女優人生をつないでいたのも印象的です。
🏰 まるで王宮?シャンピ家での豪華な新婚生活
岸惠子さんが嫁いだシャンピ家は、著名な音楽家を両親に持つ名門一家でした。
パリの大きなアパルトマンには料理人や家事を取り仕切る人がいて、
娘が生まれるとナースまでついたといいます。
岸さん自身も、家事に追われることなく、
フランス語の勉強や社交に時間を使える環境で暮らしていました。
岸さんは、家事は執事兼料理人の夫妻がすべてやってくれたため、**
「自分にできることは生け花くらい」**だったとも語っています。
まさに、それまでの日本での生活とは大きく違う世界。
フランスに嫁いだ岸さんを待っていたのは、まるで別世界のような暮らしでした。
🚗 夫の愛車を派手に改造!岸惠子の大胆ないたずら
そんな豪華な結婚生活の中には、思わず笑ってしまうような出来事もありました。
シャンピが映画撮影で1か月ほど家を留守にしたとき、岸さんは夫が大切にしていたジャガーに**
「いたずらしてやろう」**と思い立ちます。
シャンゼリゼにあった生地店で派手な布と畳針のようなものを買うと、
なんとそれをジャガーの革張りのシートにびっしり縫い付けてしまったのです。
岸さん自身が「普通の人は乗れないような車」になったと振り返るほど、車はすっかり別物に。
背景には、女優の仕事をめぐる夫へのちょっとした「仕返し」という気持ちもあったそうです。
華やかな国際結婚の裏側には、こんな茶目っ気のある夫婦のやり取りもあったんですね。
岸惠子とイヴ・シャンピはなぜ離婚した? 18年の結婚生活に終止符を打った理由
💔 夫の浮気がきっかけに…18年の結婚生活に幕
岸惠子さんとイヴ・シャンピが離婚を決めたのは、1975年1月のことでした。
直接のきっかけとなったのは、シャンピに2年前からイタリア人の恋人がいたことです。
岸さんは1月20日、羽田空港で報道陣に対し、夫に恋人がいることを明かしながらも、
「それだけが離婚の理由じゃない」と語っています。
夫婦の間には以前から、仕事や生活をめぐるすれ違いもありました。
岸さんは女優として日本で仕事を続けるため、結婚後も何度も帰国。
シャンピさんは「恵子のなかの日本に僕は勝てなかった」と漏らすことも。
そして1975年5月1日、18年間続いた結婚生活に終止符が打たれました。
🥀 娘を連れて家を出た岸惠子、夫は涙を流した
離婚の際、岸さんは11歳の一人娘デルフィーヌさんを連れて家を出ました。
親権も岸さんが持つことになりました。
そして、いよいよ家を離れるとき――。
岸さんを乗せた車が走り去る中、バックミラーには、
涙を流しながら立ち尽くすシャンピさんの姿が映っていました。
離婚を決めた二人でしたが、最後の瞬間まで気持ちが簡単に割り切れていたわけではなかったのでしょう。
18年間をともに過ごした二人の別れを思うと、なんとも胸に残ります。
🥄 別れのとき、夫が岸惠子に託した銀食器

さらに離婚の際には、シャンピから岸さんへ、思いがけないものが渡されました。
それは、シャンピの母親が二人の結婚祝いとして贈った24人分の銀食器です。
岸さんが家を出る際、シャンピは当座必要な荷物とともに、この銀食器も渡しました。
結婚祝いとして母親から贈られたものだからこそ、ほかの誰かに使われるのではなく、
岸さんに持っていてほしかったのでしょう。
夫婦としての18年間は終わっても、二人で築いた時間まで消えてしまったわけではありません。
別れの場面に残された銀食器が、二人の結婚生活の長さを静かに物語っています。
イヴ・シャンピの子供は?岸惠子との娘が歩んだ意外な人生
イヴ・シャンピさんと岸惠子さんの間には、一人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピさんがいます。
フランスで生まれ育ったデルフィーヌさんは、母・岸惠子さんとはまた違った、
とても個性的な人生を歩んできました。
幼い頃には家族をめぐる大きな出来事を経験し、17歳になると、今度は思いもよらない場所へ。
さらに音楽の世界へ進むなど、その歩みを知ると「そんな人生だったの?」と少し驚かされます。
母娘の間にも、岸惠子さんが娘の言葉にハッとさせられた出来事がありました。
いったい何があったのでしょうか。
17歳のときに経験したことや、母・岸惠子さんとの印象的なやり取り、そして現在の活動まで――。
デルフィーヌさんがどんな人生を歩んできたのか、詳しくはこちらの記事で紹介しています。
岸惠子の元夫イヴ・シャンピの晩年―― 離婚後も続いた二人の深い絆と突然の別れ
🎬 最期まで映画を撮り続けたシャンピ
岸惠子さんと1975年に離婚した後も、イヴ・シャンピは映画やテレビの仕事を続けました。
1979年にはテレビシリーズ『Staline-Trotsky』、1980年には『Le Grand Fossé』、
1981年には『Staline est mort』などを手がけ、
晩年まで映像の世界から離れることはありませんでした。
そして亡くなる直前にも、新作映画の製作が決まっていたといいます。
その作品では、岸さんに女医役を演じてもらいたいと考えていたそうです。
離婚後も映画への情熱は衰えることなく、61歳で突然人生を終えるまで、
監督として走り続けていたのです。
🥀 離婚しても消えなかった岸惠子との絆
離婚後、シャンピは再婚しましたが、実は岸さんとの関係まで途切れたわけではありませんでした。
二人は友人として交流を続け、日曜日には一緒に夕食を取ることもあったといいます。
岸さんは後に、離婚してからのほうが互いへの愛情や尊敬が深まったと振り返っています。
ところが1982年、シャンピは次回作の撮影を目前にして突然亡くなりました。
岸さんが日本で『細雪』の撮影中、娘のデルフィーヌさんから「パパが死んだ」と
電話で知らされたとされています。
死因は心不全。享年61歳でした。
岸さんはその死について、「精神的に孤児となった」「人生が消えてしまったと思った」と
記しています。
葬儀は空母クレマンソーで行われ、シャンピはブルターニュ沖の海に葬られました。
離婚してもなお続いていた二人の関係は、シャンピの突然の死によって終わりを迎えたのです。
いつものように会っていた人が、ある日突然いなくなる。
その悲しみは、きっと計り知れないものだったのでしょう。
それでも今ごろ二人は天国で再会し、今度こそゆっくりと笑いながら話していることでしょう。
まとめ
今回は、岸惠子さんの元夫・イヴ・シャンピさんについて、二人の出会いから結婚生活、
離婚、そして晩年まで紹介しました。
映画をきっかけに出会い、フランスで夫婦となった二人。
華やかな結婚生活の中には、笑ってしまうような出来事もあれば、
胸が締めつけられるような別れもありました。
離婚後も交流を続けていたことを知ると、夫婦として過ごした18年間が、
それだけ二人にとって大切な時間だったのだと感じます。
人生をともにした時間は、別れたからといって消えるものではないのかもしれません。
最後までお読みいいただきありがとうございました。


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