今や当たり前のように食べられている餃子。
羽根が付いた焼き立ての餃子を食べると中はジューシー、外はぱりっと焼けていて
非常においしいですね。おいしいのでついついたくさん食べたくなっちゃいます。
そんな餃子ですが、浜松餃子には円状に盛り付けられた中央にもやしがぼんっ!と
乗っているのはご存知だと思いますが、なぜ乗っけられているかご存知でしょうか。
そこで今回は浜松餃子にはもやしが付けられている理由について紹介したいと思います。
また餃子にまつわる豆知識も紹介しますので最後まで読んでいただけると嬉しいです。
そもそも餃子のはじまりとは?
餃子は意外にも、かなり前から食されており、紀元前6世紀ごろの山東省で初めて作られたとされ、
遺跡には餃子が食べられていた跡がのこっているんですね。
また敦煌にある墳墓にも副葬品としてつぼの中に入った餃子が乾燥した状態で見つかっています。
ちなみに日本では餃子というと焼き餃子が一般的ですが、対して
中国では餃子と言えば焼き餃子ではなく、水餃子のことをさし、
明、清の時代より大晦日になると餃子を家族で一緒に食べる習慣が定着しているんですね。
なぜ大晦日に食べられるのかについてよくわかっていないんだそう。
また縁起の良い食べ物であるため、お祝いの時にも食べられているんですね。
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浜松餃子にはなぜもやしが乗るようになったのか。
ここで本題に入ります。
餃子の上にもやしが乗っていることで知られる浜松餃子。
それではいったいなぜもやしが乗っているのかと言いますと、
見栄えをよくしたかったからなんですね。
戦後満州から帰国した復員兵が大松餃子である店主に餃子を作ってほしいとお願いしました。
餃子を焼くとき、円形に並べて餃子を焼くのですが、そうなると中央に穴がぽかんとあいたままになってしまいます。そこで浜松餃子の生みの親である大松餃子の店主が考えました。
それだったら、中央にたくさんもやしを乗せればいいのではないか!ということを思いつき、
乗せてみたところ、見栄えがよく評判が良かったということで、浜松餃子にはもやしが乗せられているんですね。
宇都宮餃子のはじまりとは?
浜松餃子の話をするとほぼ必ずと言っていいほど、話題に上がるのが、宇都宮餃子。
それでは宇都宮餃子のはじまりはいったいなんだったのでしょうか。
宇都宮餃子は宇都宮出身で満州を守っていた軍人さんが戦後、満州で学んだ餃子のつくり方を
紹介したことから、ここに宇都宮餃子が誕生するんですね。
ちなみに宇都宮での年間餃子消費量は第一位で4187円と浜松市の4137円とほぼ同等の金額で、
いかに餃子がたべられていることがわかります。
豆知識:餃子の形はどうしてあの形に?
ここで餃子にまつわる豆知識を紹介します。
一般的に餃子の形は上の写真のように三日月のような形をしていることで知られていますが、
ではいったいなぜあのような形になったのかご存知でしょうか。
その答えは馬蹄銀という貨幣がモチーフとなっているんですね。
以前中国では取引や、海外貿易の支払いには馬蹄銀が使用されていたことにちなみ、
唐や宋の時代より、今の餃子の形になったといわれているんですね。
ちなみに美食家として名高いかの女帝西太后は、美しさを保つために、真珠を粉末状にしたものを
餃子を作る際に入れて食していたといわれているんだそう。
真珠にまさかそのような効果があったとは非常に驚きですね。
以上餃子にまつわる豆知識でした!
さいごに
いかがでしたでしょうか。
今回は浜松餃子にはなぜもやしが乗っているのかについてと、
餃子にまつわる豆知識を紹介しました。
てっきりたべるときにあっさりして食べやすくするために、もやしが乗っかっているんだと
思いましたが、見栄えの理由で乗っているとは思いもよらなかったですね。
餃子のことを書いていたら、なんだか餃子が食べたくなってきました。
浜松餃子、宇都宮餃子どちらとも食べたい(笑)
それではまた!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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