昭和の芸能界を代表するスターとして活躍した高島忠夫さん。
俳優や司会者として多くの人に愛され、妻・寿美花代さんとともに幸せな芸能一家を築いていました。
しかし、高島家の歩みは決して華やかなものだけではありませんでした。
誰もが憧れるスター一家を突然襲った出来事は、
その後の家族の人生にも大きな影響を与えることになります。
一体、高島家で何が起きたのでしょうか。
そして、悲しみを抱えながら家族はどのように歩んできたのでしょうか。
今回は、高島忠夫さんの長男に起きた悲劇の真相と、
その後の高島家の歩みについて紹介します。
昭和の芸能界を震撼させた高島家の悲劇

1964年8月24日未明、東京都世田谷区上野毛にあった高島忠夫さん・寿美花代さん夫妻の自宅で、
当時生後5か月だった長男・道夫ちゃんが命を奪われる事件が起きました。
しかも、事件を起こしたのは、夫妻にとって思いもよらぬ人物だったのです。
当時、人気俳優と宝塚スターの夫婦として注目されていた2人。
しかし、その華やかな生活の裏で、高島家は想像もしなかった悲劇に見舞われます。
捜査によって明らかになった真実は、夫妻にとってあまりにも衝撃的なものでした。
なぜ、幼い道夫ちゃんの命は奪われてしまったのでしょうか。
そして、この事件はその後の高島家の子育てや家族の人生にも大きな影響を残すことになります。
午前2時40分、自宅から道夫ちゃんの姿が消える
事件が起きたのは、1964年8月24日の未明でした。
午前2時40分ごろ、住み込みで働いていた家政婦Aが、
高島夫妻に「道夫ちゃんの姿が見当たらない」と知らせます。
夫妻と家政婦は家の中を必死に探しました。
ところが、家の中には物色されたような跡があり、ただならぬ状況になっていたのです。
やがて、最後に確認されたのが風呂場でした。
寿美花代さんは、後年になって当時の様子を振り返っています。
「道夫がどこにもいない」という状況で家中を探し、
最後に風呂のふたを開けたところ、そこに道夫ちゃんがいたのです。
すぐに病院へ運ばれましたが、すでに心肺停止状態でした。
人工呼吸などが行われたものの、道夫ちゃんが助かることはありませんでした。
警察と消防にも通報され、警視庁捜査1課と玉川警察署が殺人事件として捜査を開始します。
「不審な男を見た」証言に浮かんだ矛盾
捜査が進むにつれて、事件の発見者だった家政婦Aの証言に、少しずつ疑問が浮かび始めました。
家政婦Aは、夜に窓の外で不審な男を見たことや、
道夫ちゃんの泣き声を聞いたことなどを話していました。
しかし、ほかの家族は不審な人物の姿や泣き声を確認しておらず、証言には不自然な点が残りました。
さらに、事件当時の状況を詳しく調べると、いくつか気になる点が見つかります。
🔵事件当日に浮かび上がった疑問点
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普段なら不審者が近づくと吠えるはずの犬が、その夜は吠えていなかった
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いつもは入浴後に抜かれていた風呂の残り湯が、その日に限って残っていた
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外から侵入した犯人の犯行と考えるには、説明がつかない部分があった
こうした疑問点から、警察は家政婦Aの証言をさらに詳しく調べることになります。
そして追及を受けた家政婦Aは、やがて犯行を認めました。
当初は窃盗目的の犯行に見せようとしていましたが、
事件当日の昼ごろには自ら犯行を打ち明けることになったのです。
高島夫妻が信頼していた人物による犯行だっただけに、
その悲しみは計り知れないものだったでしょう。
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犯人はまさかの17歳の少女だった
事件の犯人は、当時17歳だった少女でした。
しかも、単なる雇用関係にあった人物ではなかったのです。
少女は寿美花代さんの宝塚時代からの熱心なファンで、1963年末ごろから高島家で働いていました。
夫妻から信頼され、寿美さんが出産後も仕事を続けていたことから、
夜には道夫ちゃんの子守を任されることもあったといいます。
そんな少女が、なぜ幼い道夫ちゃんを手にかけたのでしょうか。
背景にあったのは、同僚のお手伝いに対する嫉妬でした。
道夫ちゃんが生まれた後、高島夫妻は看護師資格を持つ女性を新たに雇い、
子供の世話を任せるようになりました。
それによって、自分の仕事を失うのではないかと考えた家政婦A。
そして、「子供がいなければ、すべて元に戻る」と考え、犯行に及んだとされています。
信頼していた人物によって、家族の幸せが一瞬にして奪われる――。
高島夫妻にとって、あまりにも残酷な出来事でした。
事件後も消えなかった寿美花代さんの心の傷

最愛の息子を突然失った高島夫妻の苦しみは、事件が解決した後も終わりませんでした。
特に寿美花代さんは、何十年経っても道夫ちゃんのことを忘れることができませんでした。
2013年、事件から49年が経った頃、寿美さんはテレビ番組で当時を振り返り、
「私が一緒に寝てやらんかったから……」と涙ながらに胸の内を明かしています。
また道夫ちゃんが高島忠夫さんにそっくりだったことにも触れ、
「なんで殺されなあかんかったのか、分からない」と語りました。
さらに事件後には、赤ちゃんの泣き声や「ママー、苦しいよ」といったいたずら電話まで
かかってきたといいます。
そして、事件が心に残した傷は、日常生活にも影響しました。
寿美さんは後年、「今でもお風呂はシャワーしか浴びられない」と明かしたことも。
事件から何十年経っても、風呂場に残る記憶から完全に逃れることはできなかったのです。
それでも寿美さんは、手帳の奥に道夫ちゃんの写真を大切にしまっていたといいます。
宝塚のトップスターとして輝いた寿美花代さん。
高島忠夫さんとの出会いや、夫の病を10年以上支え続けた夫婦の絆については
こちらの記事で詳しく紹介しています。
次男・政宏、三男・政伸にも影響した事件


事件から1年後の1965年、次男の高嶋政宏さんが誕生。
さらに翌1966年には、三男の高嶋政伸さんが誕生しました。
しかし、2人の誕生後も、高島夫妻の心から事件の恐怖が消えることはありませんでした。
仕事で家を空ける際には、自分たち子供もできるだけ一緒に連れて行ったと語っています。
そこには、過去の悲劇を二度と繰り返したくないという、両親の強い思いがありました。
また、政宏さん自身が長男・道夫さんの存在や事件について詳しく知ったのは、
高校生になってからだったそうです。
幼い子供たちを守りたいという思いから、夫妻は事件のことをすぐには伝えず、
大切に育てていたのでしょう。
「あなたの息子を誘拐する」――再び届いた脅迫
高島家を襲った不安は、長男の事件だけではありませんでした。
政伸さんが幼い頃には、高島家に「あなたの息子を誘拐する」という
脅迫予告状が届いたこともあったといいます。
高島夫妻はすぐに警察へ相談。
その後、刑事が4~5か月ほど高島家に常駐し、家族を警護することになりました。
政伸さんは後年、その頃の生活を振り返り、
刑事が仏間に泊まり、朝には一緒に食事をし、学校へ行く際にも一緒についてきたと語っています。
幼い政伸さんにとって、刑事はいつしか身近な存在になっていました。
そのため、脅迫犯が逮捕され、刑事が高島家を離れることになった際には、
「行かないで!」と泣きながら車を追いかけたそうです。
高島家では、長男の事件が終わった後も、家族を守るための緊張が続いていたのです。
犯人のその後は?
では、道夫ちゃんの命を奪った犯人は、その後どうなったのでしょうか。
少女は逮捕され、その後服役。
出所後には結婚したとされていますが、その後の詳しい消息については明らかになっていません。
一方で、政伸さんが大人になってから、
ある女性から「犯人は、私、私」と声をかけられたという衝撃的な証言も。
事件から長い年月が経っても、
高島家にとって決して忘れることのできない出来事だったことがうかがえます。
まとめ
今回は、高島忠夫さんの長男・道夫ちゃんに起きた事件と、その後の高島家について紹介しました。
生後わずか5か月の幼い命が奪われた事件は、高島夫妻の人生を大きく変えることになりました。
事件後も夫妻は深い悲しみを抱え、寿美花代さんには長年にわたって心の傷が残りました。
さらに、次男・政宏さんと三男・政伸さんの子育てにも、事件の影響があったことがうかがえます。
華やかな芸能一家として知られた高島家ですが、
その裏側には、決して忘れることのできない悲劇がありました。
それでも高島夫妻は、残された家族を大切にしながら歩み続けました。
60年以上の時が流れた今も、高島家の歴史は、
家族の悲しみと愛情、そしてその後の歩みを伝えるものとして残り続けています。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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