今や日本映画界を代表する名優・佐藤浩市さん。
圧倒的な存在感と渋さで、多くの作品を支えてきましたよね。
ですが――
そんな佐藤浩市さんにも、決して順風満帆とは言えない若い頃がありました。
実は映画の撮影現場で、
今では考えられないほど壮絶な扱いを受けていた時代もあったのです。
それでも逃げず、腐らず、
俳優として立ち続けたからこそ、今の佐藤浩市さんがあります。
そこで今回は、映画の撮影時に壮絶な扱いを受けていた若き日のエピソードとともに、
佐藤浩市さんの若い頃の姿を世代別に振り返っていきます。
知ればきっと、これまで以上に佐藤浩市さんの演技が胸に響くはず♪
10代|運命が動き出した俳優デビュー
佐藤浩市さんは、大学在学中だった1980年、19歳の時にNHKドラマ
『続・続 事件 月の景色』で俳優デビューを果たしました。
そして翌年には、映画 『青春の門』 でなんと主演に抜てき!
初々しさの中に情熱を感じさせる演技が高く評価され、ブルーリボン賞新人賞を受賞。
この作品をきっかけに、俳優・佐藤浩市の名が一気に知られるようになります。
名優・三國連太郎さんの息子ということで、
「二世俳優」という大きな看板を背負いながらのスタート。
しかし、恵まれた容姿だけでなく、若さの中に確かな演技力を感じさせる存在感で、
鮮烈なデビューを飾りました。
この時点ですでに、
ただの“二世”では終わらない雰囲気を漂わせていたのです。
20代|壮絶な洗礼と、俳優としての覚悟
佐藤浩市さんの俳優人生において、大きな転機となったのが22歳の時。
相米慎二監督の映画 『魚影の群れ』(1983年)でした。

大間のマグロ漁師の娘婿役を演じ、緒形拳さん、夏目雅子さんといった
名優たちと真正面からぶつかります。
この作品で見せた鬼気迫る演技は高く評価され、日本アカデミー賞助演男優賞にノミネート。
「名優の息子」という肩書きではなく、一人の俳優・佐藤浩市として認められ始めた瞬間でした。
【衝撃】映画『魚影の群れ』撮影中、壮絶な経験をしていた!
映画『魚影の群れ』の撮影現場は、今では考えられないほど過酷なものでした。
佐藤浩市さん演じる青年が、恋人の父親である漁師(緒形拳)に
海へ突き落とされるシーン。
ところが相米慎二監督は、何度やっても「OK」を出しません。
「気持ちが伝わってこない!」
そう叫ぶと、ついには
「本当に投げ込んじまえ!」
と指示。
真冬の凍てつく大間の海に、
佐藤さんは何度も何度も放り込まれました。
体は凍え、意識が遠のく中でも、
歯を食いしばって演技に向き合い続ける佐藤さん。
その姿を見かねた緒形拳さんが、
「相米、もうやめろ!本気で○す気か!」
と叫び、それでようやく撮影を止めたといいます。
この壮絶な経験を通して佐藤浩市さんは、
「映画とは、ここまで本気の世界なんだ」
と俳優として覚悟を決めたそうです。
真冬の海に何度も投げ込まれながらも、逃げずに演技に向き合い続けたとは
ただ「すごい」としか言いようがありません。
正直、ここまでやらせる必要があったのか…と思う瞬間もあります。
しかし、佐藤さんが全力で挑んだからこそ、映画の空気や緊張感がスクリーンに生きている
と感じます。
こういう話を知ると、当時の映画人たちの覚悟と、作品にかける熱量が本当に半端じゃなかったんだな、
と改めて思わずにはいられません。
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30代|円熟期へ、一気に駆け上がる
30代に入ると、佐藤浩市さんは俳優として最も脂が乗った時期を迎えます。
深作欣二監督の『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994年)では民谷伊右衛門役を熱演。
複雑な心理を巧みに表現し、観客に強い印象を与えました。
出典:X
この作品で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞をはじめ、
その年の映画賞を総なめにしました。
さらに阪本順治監督との『トカレフ』など意欲作にも次々と出演。
善役から悪役まで自在に演じ分け、日本映画界に欠かせない存在へと成長していきます。
なお佐藤浩市さんは33歳の時に結婚しました。
奥さん・広田亜矢子さんとの出会いは、まさにドラマのような衝撃的だったとか。
詳しいエピソードは こちらからチェック →
40代|トップ俳優としての確固たる地位
2000年代に入ると、佐藤浩市さんは日本映画界を牽引する
トップ俳優としての地位を確立します。
映画 『ホワイトアウト』(2000年) では
ダム職員役で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。


さらに 『壬生義士伝』(2003年) では斎藤一役を鬼気迫る演技で演じ、
最優秀助演男優賞に輝きました。


三谷幸喜作品の常連として『THE 有頂天ホテル』などで
コミカルな一面を見せたのもこの頃。


役柄の幅を大きく広げた円熟期でした。
50代(円熟と新たな挑戦)
50代に入ると、重厚な役柄で圧倒的な存在感を放つようになります。
『最後の忠臣蔵』『のぼうの城』 など、
時代劇の名作に次々と主演。


2011年には、父・三國連太郎さんとの最後の共演も果たしました。


そして映画 『64-ロクヨン- 前編』(2016年) では
組織と個人の間で葛藤する広報官役を熱演。


自身2度目となる日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞し、
名実ともに日本を代表する俳優となりました。
60代|レジェンドとして、今も最前線へ
還暦を迎えても、その勢いは衰えません。
映画 『Fukushima 50』(2020年) では原発事故の最前線で指揮を執る所長役を演じ、
3度目の日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。


その演技は、多くの観客の胸を打ちました。
また大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年) では
上総広常役として強烈な存在感を残しています。


こうして息子・寛一郎さんの活躍を見守りつつも、佐藤浩市さん自身は今なおレジェンドとして、
第一線で観客を魅了し続けています。
スクリーンに立つたびに放たれるそのオーラには、若い頃と変わらぬ熱量が感じられますね😊
まとめ:【顔画像】佐藤浩市の若い頃がかっこいい!映画の撮影時に壮絶なしごきを受けていた!
今回は、佐藤浩市さんの若い頃から現在までを世代別にご紹介しました。
華やかなキャリアの裏には、壮絶な経験と揺るがない覚悟がありました。
その積み重ねが、今の深みある演技につながっているのですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
出典:amazon



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