巌流島の決闘で知られる宮本武蔵と佐々木小次郎。
おそらくどんな人物なのかあまり知らなくても、
名前は聞いたことある方は多いのではないでしょうか
それぐらい広く知れ渡っていますね。
そんな宮本武蔵と佐々木小次郎ですが、二人は巌流島で決闘したとされていますが、
実は宮本武蔵は佐々木小次郎にとどめをさしていなかったともいわれているんです!
そこで今回は宮本武蔵と佐々木小次郎に関して紹介していきたいと思います。
また両者にまつわる豆知識も紹介しますので最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
宮本武蔵とはどんな人物?
宮本武蔵は二刀流の武将であり、剣の兵法書である「五輪書」を書いた人です。
その書には13歳から29歳までにわたる60回以上の戦いにおいて、一度も負けたことがないと
記されており、いかに宮本武蔵が最強の剣豪であったことがうかがえますね。
身長は当時にしては非常に高く182センチもありかなり大柄な人物でした。
また武将としてのイメージが非常に強いですが、意外にも彼は水墨画や禅、あるいは木刀づくりなど、芸術家としての才能もあったんですね。さらには囲碁の腕前もかなりのものであり、
実にさまざまな方面で頭角を現していました。
佐々木小次郎とはどんな人物?
佐々木小次郎は前述したようにやはりなんといっても宮本武蔵と戦った人物として
有名ですね。
彼は短い太刀を使用した剣術で知られる中条流の開祖である富田勢源の弟子となり、
武術を学びました。師匠になんとしても勝ちたいと思い、勝負に挑みましたが、
一向に勝てません。
どうしたら勝てるのかと滝を見ていた時です。
そこに一羽の燕が飛んできて、素早く一回転すると、また空高く舞い上がりました。
その動きをみて、燕を刀で切ることができるほどの素早い動きをみにつければ、
師匠に勝てるかもしれないと思い、鍛錬を積み、やがてツバメを刀で斬ることに成功した結果
あの有名な奥義である「燕返し」がここに誕生したのです。
この奥義をあみだし、師匠に戦いを挑んだ結果、ようやく勝利をおさめることができました。
こうして、宮本武蔵と佐々木小次郎は戦うわけですが、どっちが勝ったのかと言えば、
宮本武蔵であり敗北を喫してしまうんですね。一説によれば、小次郎は宮本武蔵と戦った時点で
かなり年を取っており、小次郎よりも若い武蔵と比べると圧倒的に動きが違うので、
負けたのではないかと言われています。
また彼は、佐々木小次郎という名前以外にも、津田や渡辺、あるいは上田宗入という名前でも
知られています。
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宮本武蔵は佐々木小次郎と巌流島の戦いでとどめを刺していなかった!?
宮本武蔵は佐々木小次郎が巌流島で決闘をした際、よく言われているのが、以下の話。
武蔵がわざと決闘の時間に遅れて、小次郎をいらつかせます。
暫くして現れた武蔵でしたが、小次郎は怒りのあまり、海へ鞘を投げ捨ててしまうんですね。
それを見た武蔵は「小次郎敗れたり!」と叫んで、抜かれた刀を元に戻すということをしないのは、負けたといっているようなものだとおちょくります。
そして武蔵の会心の一撃によって、小次郎は死んでしまうというのがよく聞かれるストーリですよね。
これは作家である吉川英治が書いた著書である「宮本武蔵」によるもので、「二天記」を参考にして書かれました。
しかし、最近になって巌流島で決闘することを許した沼田延元の栄華が書かれた「沼田家記」が
発見され、驚くべきことが明らかになったのです!
それは武蔵の一撃によって死んだとされた小次郎が実は脳震盪を起こしただけで、
まだ生きており、しばらくして意識が戻ったところを武蔵の弟子たちによって、
とどめを刺されたと書かれてあったのです!
はたして真実のほどはどうなのでしょうか。気になる所ですね。
豆知識①巌流島という名の島は通称だった!?
ここで宮本武蔵と佐々木小次郎にまつわる豆知識を2つ紹介します。
両者は巌流島で戦ったことはこれまで述べてきたとおりですが、
そもそも巌流島という名の島は本来存在しないというのをご存知でしょうか。
ではいったい本当の島の名前はなんというのでしょう。
答えは船島だったんですね。
その名の通り、島の形が船の形に見えるというところから名づけられたとされています。
また巌流島と言われるようになった理由として、佐々木小次郎の流派が巌流と言っていたところから、小次郎を支持していた地元の人によって「巌流島」と呼ばれるようになったわけなんですね。
豆知識②:宮本武蔵は風呂嫌いだった!?
宮本武蔵は実は風呂嫌いだっというのを皆さんは聞いたことがありますか。
といってもただ単に面倒くさいという理由で入らなかったのではなく、
ちゃんとした理由があったんです!
その理由とはずばり、自分が多くの人に恨まれているのではないかと思ったからなんですね。
そのため、命を狙われる危険性が高まり、お風呂に入っている時に殺されかねません。
そうならないように、あえて風呂に入らないことで、
自分の命を守っていたというわけなんですね。
今でこそこのような心配はないですが、当時はいかに命の危険が常にあったと思うと、
生きにくい世の中ですが、現代に生まれてよかったと思います。
以上豆知識でした!
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は宮本武蔵と佐々木小次郎についてと豆知識を紹介しました。
昔はスマホやカメラなどといったものは当然無く、
文献によって真相を解明しなければならないのですが、巌流島の戦いのように
必ずしも確実に真相がわかるとは限りませんよね。果たしてどのような結末となったのでしょう。
みなさんはどう思いますか。
それではまた!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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