『硝子坂』や『私はピアノ』などのヒット曲で人気を集めた歌手・高田みづえさん。
そんな高田さんが結婚した相手が、元大関・若嶋津六夫さんでした。
実は二人の出会いには、意外な馴れ初めがあり、プロポーズにも若嶋津さんらしい一言があったんです!
さらに結婚後、相撲部屋の女将として夫を支えたるために高田さんが行った思い切った決断も。
そして晩年、二人を待っていたのは、胸に残る最後の時間でした。
そこで今回は、高田みづえさんと若嶋津さんの馴れ初めから結婚生活、そして晩年まで紹介します。
高田みづえの夫・若嶋津のプロフィール&経歴
若嶋津のプロフィール

- 名前:若嶋津六夫(わかしまづ・むつお)
- 本名:日高六男(ひだか・むつお)
- 生年月日:1957年1月12日
- 没年月日:2026年3月15日(69歳)
- 出身地:鹿児島県(種子島)
- 最高位:東大関
若嶋津の経歴
若嶋津さんは高校時代から相撲に打ち込み、鹿児島県代表として国体で団体優勝を果たしました。
1975年3月場所、二子山部屋から本名の「日高」で初土俵を踏みます。
当時は体重80キロにも満たず、「割り箸」とからかわれていました。
しかし、兄弟子・貴ノ花の初優勝を目にすると、「俺だってやれる」と奮起し、若嶋津と改名。
その後、着実に番付を上げ、1983年1月場所には大関へ昇進しました。
1984年には3月場所、7月場所と2度の幕内優勝を果たし、
スピード感のある相撲から「南海の黒豹」の異名で人気を集めます。
1987年に現役を引退した後は親方となり、1990年には松ヶ根部屋を創設しました。
細身で「割り箸」と呼ばれた青年が、大関へ――。
若嶋津さんは、まさに努力で道を切り開いた力士でした。

出典:謎の人さんX投稿
高田みづえと若嶋津の馴れ初め

結婚前のデートはたった一度!二人の距離が縮まったきっかけ
高田みづえさんと若嶋津六夫さんが初めて顔を合わせたのは、1981年のスポーツ紙の対談でした。
実は当時、若嶋津さんは「理想の女性は?」と聞かれ、高田さんの名前を挙げていたそうです。
その約1年後、仕事で再会した二人。
若嶋津さんから交際を申し込んだことで、二人の関係が始まりました。
意外なのは、結婚前のデートがたった一度だったこと。
二人が出かけたのは、新宿で映画『インディ・ジョーンズ』を観た一度きりだったといいます。
とはいえ、電話では頻繁にやり取りしていました。
高田さんは当時の若嶋津さんについて、「親方は無口で、私は1人でしゃべっている」と
振り返っています。
デートは一度だけ。それでも、電話で少しずつ距離を縮めていった二人でした。
まさかの一言がプロポーズ?若嶋津からの意外な結婚の申し出
そして1984年、二人の関係が結婚へと動き始めます。
若嶋津さんは同年3月場所で初優勝、さらに7月場所では全勝優勝を果たし、
まさに絶好調の時期でした。
そんなある日、高田さんに結婚を意識させる意外な一言をかけます。
それが、
「事務所の社長さんにごあいさつに行ってもいい?」
という言葉でした。
当時、高田さんは人気絶頂の歌手。結婚は本人同士だけでなく、仕事にも関わる大きな出来事でした。
「結婚してください」とはっきり言ったわけではありません。
それでも高田さんは後に、「今考えると、それだよなっていう感じ」と振り返っています。
そして1985年2月に婚約を発表し、同年9月27日にホテルニューオータニで結婚式・披露宴を挙げました。
披露宴はテレビ朝日で独占生中継され、平均視聴率30.2%を記録するほどの大きな話題に。

出典:大達さんX投稿
結婚を機に、高田さんは、23歳で芸能界を引退。
人気絶頂だった歌手生活に区切りをつけ、若嶋津さんを支える道を選んだのです。
一度だけのデートから始まった二人の関係は、やがて人生をともにする夫婦へと進んでいきました。
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高田みづえと若嶋津 華やかな歌手から相撲部屋を支える女将へ

出典:zazambowさんインスタ投稿
結婚を機に芸能界を引退した高田みづえさん。
その後は、若嶋津さんの妻として、そして相撲部屋の女将として、
まったく違う世界で第二の人生を歩み始めました。
そこには、歌手時代の華やかな姿からは想像できないような、
夫や弟子たちを支えたエピソードがありました。
部屋の独立にかけた思い切った決断
1990年、若嶋津さんが松ヶ根部屋として独立する際、
高田さんは歌手時代に貯めたお金を夫に差し出しました。
その言葉は、「役立ててください」。
『硝子坂』や『私はピアノ』などで人気を集めた歌手時代の貯金を、
惜しげもなく部屋のために託したのです。
芸能界を離れただけでなく、今度は夫とともに相撲部屋を一から作っていく。
高田さんにとっても、ここが本当の意味で「女将になる」スタートだったのかもしれません。
その後は割烹着やエプロン、ジーパン姿で部屋を駆け回り、
若嶋津さんからも厚い信頼を寄せられていました。
弟子たちを支えた高田みづえ
部屋の弟子たちにとって、高田さんは単なる「女将」ではありませんでした。
小遣いを管理したり、悩み相談に乗ったりと、
生活面から精神面まで支える“お母さん”のような存在**だったといいます。
部屋を立ち上げた当初は、弟子3人からのスタート。
元人気歌手だっただけに、周囲から「高田みづえ」として見られることへの戸惑いもありました。
それでも高田さんは、次第に「徹底的に裏方に徹してやろう」と決意。
華やかな芸能界から離れた場所で、弟子たちのために汗を流す毎日を送ったのです。
夫に伝えた女将ならではの一言
そんな高田さんは、親方となった夫に対しても、ただ黙って支えていたわけではありません。
若嶋津さんが弟子たちを指導する際には、
現役時代に自分自身が味わった苦労や痛みを忘れないようにと促したそうです。
若嶋津さん自身、初土俵の頃は体重80キロにも満たず、「割り箸」とからかわれた経験がありました。
だからこそ、高田さんは弟子たちの立場にも目を向けるよう、夫に伝えたのでしょう。
夫を立てながらも、必要なときにはきちんと意見を伝える。
そんな高田さんの存在が、若嶋津さんの親方人生を陰から支えていたのかもしれません。
高田みづえと若嶋津の子供は2人!
高田みづえさんと若嶋津さんには、長男・勝信さんと長女・アイリさんの2人の子供がいます。
2人とも、それぞれ両親とは違った道を歩んできました。
息子の勝信さんは、幼い頃から父・若嶋津さんに憧れて育ちましたが、
その後は思いもよらない道へ進むことになります。
俳優として活動した時期もありますが、現在はいったいどんな仕事をしているのでしょうか。
一方、娘のアイリさんは芸能界で活動しながら、両親についてさまざまなエピソードを語っています。
その中には、家族の深い絆が伝わり、思わず涙が出てしまうようなエピソードも。
娘だからこそ知っている両親の姿や、アイリさんが語った言葉を知ると、
高田みづえさんと若嶋津さんの家族の絆を、より深く感じられるかもしれません。
勝信さんが歩んできた意外な人生や、現在の姿については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
そして、アイリさんが語った両親との心温まるエピソードや、
家族の知られざる一面については、こちらの記事で紹介しています。
→ 高田みづえの娘・アイリのプロフィールや経歴、現在についてはこちら
高田さんは喪主として、涙をこらえながら、夫への想いを語りました。
そして最後の別れとなった出棺の時。
霊柩車の助手席に座った高田さんの目からは、涙が止まりませんでした。
まとめ
今回は、高田みづえさんと若嶋津さんの馴れ初めから結婚生活、そして晩年までをまとめました。
高田さんは歌手としての華やかな人生から一転、女将として夫や弟子たちを支える道を選びました。
一方の若嶋津さんも、最後まで相撲を愛し続けました。
長い夫婦生活の中には、楽しいことばかりではなく、苦しい時期もあったことでしょう。
それでも、二人がそれぞれの立場で歩んできた姿を振り返ると、
夫婦として積み重ねてきた時間の大きさを感じます。
若嶋津さんが最後まで口にしていた「相撲人生」という言葉。
その人生をそばで支え続けた高田さんの存在も、忘れられません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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