現役時代、女性ファンから絶大な人気を誇った川合俊一さん。
中には川合さんを追いかけて衝撃的な行動をとったファンもいたとか!
この記事では、そんな川合俊一さんの若い頃の驚きのエピソードや彼のモテ伝説をまとめてご紹介します。
当時のファンの方の熱狂ぶりが分かりますのでぜひ最後までご覧ください!
川合俊一の若い頃:バレーボール界のスター誕生
川合俊一さんは1963年、新潟県に生まれました。
中学時代からバレーボールを始め、その才能はすぐに開花。
明治大学付属中野高等学校を経て、日本体育大学に進学。
在学中の1984年にはロサンゼルスオリンピックに出場するなど、若くして日本バレーボール界の
スター選手となりました。
195cmの長身を活かした強力なスパイクとブロックで、チームの中心選手として
多くの勝利に貢献しました。
女性ファンが衝撃的な行動をとった驚きのエピソード!
川合俊一さんの人気は凄まじく、試合会場には多くの女性ファンが詰めかけました。
中でも驚くべきエピソードとして、女性ファンがなんと川合さんを追いかけて山で野宿をしたと
いう驚きのエピソードがあります。
というのも川合さんは山奥の寮に通っていましたが、昔は電話番号が電話帳に掲載されてたこともあり、
場所を突き止めるのが容易だったそう。
「富士フィルムっていう会社にいたので、寮が普通にバレてる。寮の電話番号も電話帳に普通に載ってるから(笑)。南足柄っていう山のふもとで、単線の電車とバスに乗って行くようなところですが、多い時だと1000人ぐらい女の子が来てましたね。」
出典:TBSラジオ
そして、熱狂的なファンたちは熱心に川合さんを追いかけ、
川合さんと会うためにお墓がたくさんある山に野宿までしていたと言います。
「そんな帰れないじゃない!だからみんな野宿ですよ!周りお墓とかですよ!山、お墓、バカでかい駐車場!そこに野宿ですよ!コンビニはないです。乾物屋さんがあって、それも6時ぐらいには閉まっちゃうんで・・・朝5時ごろにドアを開けると、女の子たちが50人ぐらいばーっといる。」
出典:TBSラジオ
お墓があって怖いのにそこで野宿するとは本当にすごいですね!
もう川合さんに会えるためだったらどこへでも行くという
女性ファンの熱い思いが伝わってきます。
バレンタインデーにトラック4台分のチョコレート!?
さらに驚くべき事実がもう一つ判明しました!
川合俊一さんはなんと、バレンタインデーにトラック4台分のチョコレートが届いたという逸話です。
川合の人気は、「モテ男伝説」と呼ばれるほどで、バレンタインデーにはトラック4台分のチョコレートが届いたという逸話もあるほどだ。
出典:スポーツナビ
トラック4台分とは、あまりに多すぎてもう想像できません!
川合さんは本当にファンの方から絶大な人気があったんですね。
改めて川合さんの凄さを実感しました。
ちなみに、そのチョコレートを家に保管したそうですが、なんと2部屋(6畳)がいっぱいになったそう。
現役時代のプレースタイルと実績
川合俊一さんは、195cmの長身を活かした強力なスパイクとブロックが持ち味で、
攻守にわたってチームを牽引しました。
1984年のロサンゼルスオリンピックでは全日本代表として活躍。
その後も国内リーグで数々のタイトルを獲得。
川合さんがバレー界に姿を現れてから低迷していた男子バレーの希望の光となったのです。
なんでも川合さんがコートに入ると、運が強いのかほとんどの試合に勝利していたそう!
川合さんのプレースタイルは、当時の若手選手たちの憧れの的となっていました。
引退後の活動と現在の姿
1990年に現役を引退した川合俊一さんは、現在、タレントやスポーツ解説者としてテレビやラジオで
活躍しています。
また、日本ビーチバレー連盟の会長として、ビーチバレーの普及や発展にも尽力しています。
2022年には日本バレーボール協会の会長に就任し、日本のバレーボール界全体の発展に寄与しています。
川合俊一さんは甘いマスクだったことから若い頃に写真集も販売していました!
川合俊一さんの若い頃の写真を見ると、その端正なルックスと鍛え抜かれた体躯が印象的です。
試合中の真剣な表情や、仲間とリラックスした笑顔など、さまざまな表情を収めた写真は、
当時のファンのみならず、現在のファンにとっても貴重なものとなっています。
ファッションセンスも抜群だった川合俊一
現役時代、川合俊一さんはプレーだけでなく、そのファッションセンスでも注目を集めていました。
常におしゃれに気を配り、スポーツ選手としての新たなスタイルを確立。
彼のファッションは多くの若い方の参考となり、バレーボール界のアイコン的存在でした。
なお、女子バレーの監督しておなじみの真部さんも川合さんの髪型を真似していたとのこと!
川合俊一とライバルたち:激闘の歴史
川合俊一さんの現役時代、日本バレーボール界には多くの強豪選手が存在しました。
中でも、中垣内祐一さんや加藤陽一さんとは数々の名勝負を繰り広げ、ファンを熱狂させました。
これらのライバルたちとの競り合いが、川合さんの成長と日本バレーボール界の
発展に大きく寄与しました。
家族と実家のとんかつ屋エピソード
川合俊一さんの実家は、新潟県で「とんかつ亭」というとんかつ屋を営んでおり、
地域の人々に親しまれていました。
川合さん自身も学生時代に手伝いをすることがあり、その経験が川合さんの人間性を育んだそう!
特に川合さんが現役時代に地元に帰ると、ファンの方が川合さん目当てに来店し、
お店は大繁盛したんだとか!
なお、とんかつ亭は現在、閉店してしまいましたが、川合さんの叔父が、
「とんかつかわい」というとんかつ屋を営んでいます。
興味のある方はぜひ行かれてみることをおすすめします。
まとめ:川合俊一の若い頃の伝説!女性ファンがとった衝撃の行動とは!?
今回は川合俊一さんの若い頃についてまとめました。
川合俊一さんの若い頃の伝説は、バレーボール界だけでなく日本全体に大きな影響を与えました。
その卓越したプレーや端正なルックスは、多くの人々を魅了し、彼のエピソードは
今でも語り草となっています。
現役引退後も多方面で活躍し、日本バレーボール界の発展に寄与し続けている川合さん。
その若き日の輝かしい伝説は、これからも語り継がれることでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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