女優として長く活躍し、二代目水谷八重子を襲名した水谷八重子さん。
そんな水谷さんが結婚したのは、昭和のジャズ界を代表するドラマー・白木秀雄さんでした。
実は二人の出会いは、なんとも印象的な出来事がきっかけだったんです!
ところが、二人の結婚生活は思いがけない展開を迎えることになります。
いったい二人の間に何があったのでしょうか。
さらに、離婚後の白木さんを待っていたのは、華やかな活躍からは想像しにくい波乱の日々でした。
今回は、水谷八重子さんと白木秀雄さんの馴れ初めから結婚生活、離婚、
そして白木さんの晩年まで、二人の知られざる関係を紹介します。
水谷八重子(2代目)の元夫・白木英雄のプロフィール&経歴
白木秀雄のプロフィール

出典:スイングジャーナル社 – 「スイングジャーナル」1960年1月号(スイングジャーナル社),
日本国著作権消滅/米国フェアユース, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=5247601による
- 本名:柏倉秀康(かしわくら・ひでやす)
- 芸名:白木秀雄(しらき・ひでお)
- 生誕: 1933年1月1日
- 死没: 1972年9月1日(39歳没)
- 学歴: 東京芸術大学音楽学部打楽器科中退
- 職業: ドラマー、バンドマスター
白木秀雄の経歴
白木秀雄さんは、昭和を代表するジャズドラマーの一人で、芸大に在学していた頃から
プロとして活動を始めていました。
当時は大学が学生の学外演奏を禁じていたため、本名の「柏」の字を分けて
「白木」という芸名を使ったそうです。
その後、さまざまなバンドで経験を積み、
1953年には自身のリーダーバンド「白木秀雄トリオ」を結成。
1957年には「白木秀雄クインテット」を結成し、日野皓正さんや松本英彦さんら
実力派ミュージシャンとともに、日本のジャズ界で注目される存在になりました。
さらに同年、石原裕次郎さん主演の映画『嵐を呼ぶ男』でドラム演奏シーンのアテレコを担当。
主題歌の伴奏も務めたことで、一躍人気を集めます。
翌1958年には初のリーダー作を発表し、当時新しいスタイルだったファンキージャズにもいち早く挑戦
その実力は高く評価され、スイングジャーナル誌では
ドラマー部門とコンボ部門で10年連続ナンバーワンに選ばれました。
さらにシャボン玉ホリデーなどのテレビ番組にも出演するなど、白木さんはジャズ界だけでなく、
広くお茶の間にも知られた人気ドラマーだったのです。
水谷八重子と白木秀雄の馴れ初め
白木秀雄の一言に胸キュン
水谷八重子さんと白木秀雄さんの出会いは、楽屋での意外な出来事がきっかけだったそうです。

ある公演が終わった後、水谷さんが楽屋で白粉を落としていると、
鏡の中に突然、白木さんが現れました。
自分のそばかすを見られた水谷さんが「見たのね……私のソバカス」と泣きそうになると、
白木さんは「ゴマのおむすびみたいで可愛いよ」と返したといいます。
この言葉に水谷さんは、とても幸せな気持ちになったそうです。
白木さんは色白だったため、「ナマイカ」というあだ名で呼ばれていました。
ちなみに水谷さんは後に二人の出会いを振り返り、
白木さんを「イカ」、自分を「ゴマのおにぎり」にたとえ、
まるで「イカがゴマのおにぎりに『結婚しようよ』と言ってくれた」ようだったと、
ユーモラスに語っています。
門限もきちんと守る!母からも気に入られた白木秀雄
交際が始まってからの白木さんは、水谷さんの門限が近づくと、
母である初代水谷八重子さんや「アーちゃま」に電話を入れていたそうです。
「良重(旧芸名)はまだ遊びたがってますが連れて帰ります」と伝えるなど、
きちんと門限を守るよう気遣っていました。
こうした誠実な対応もあってか、白木さんは水谷さんの母からも大きな信頼を得ていたようです。
また、白木さんは水谷さんの音楽面にも大きな影響を与えました。
こうして交際を重ねた二人は、1959年5月、水谷さんが20歳の時に結婚。
ジャズ界で活躍する白木さんと、若手女優として注目されていた水谷さん。
二人の結婚は、当時の芸能界でも大きな話題となりました。

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水谷八重子と白木秀雄の結婚生活が面白い! 新婚旅行や夫婦の思い出を紹介
ジャズ界で人気を集めていた白木さんと、女優として注目されていた水谷さん。
スター同士の結婚ということもあり、大きな話題になった二人ですが、
結婚生活ではどんな思い出を残しているのでしょうか。
今回は、そんな二人の結婚生活にまつわるエピソードを3つ紹介します。
チャンバラ好きの白木秀雄、妻・水谷八重子に思わぬ影響が!
白木秀雄さんは、大のチャンバラ好きだったそうです。
そんな白木さんの趣味は、妻・水谷八重子さんの仕事にも影響を与えました。
1960年公開の映画『妖刀物語 花の吉原百人斬り』への出演が決まったときのこと。
水谷さんは、夏の暑い時期に京都まで行って撮影することを「ツラいな」と思っていたといいます。
ところが、チャンバラ好きの白木さんは大喜び。
水谷さんによると、白木さんは「やれ、やれ」と出演を後押ししたそうです。
ちなみに、水谷さんはこの作品でNHK映画賞最優秀助演女優賞を受賞しています。
まさか女優賞を受賞しまうとは驚きです。
どこで運をつかむかわからないですね。
白木さんの後押しがあったことを思うと、なんだか興味深いエピソードです。
結婚翌年には夫婦でアルバム!新婚時代の二人を音楽に
結婚した翌年の1960年には、二人で『真夜中の恋のムード』というアルバムも制作しています。
この作品は結婚記念の企画盤的なもので、白木秀雄クインテットが伴奏を担当しました。
録音では白木さんも気持ちのこもったサポートを見せ、
クインテットのメンバーたちも新婚の二人を祝福するような和やかな雰囲気だったそうです。
アルバムには日本語と英語が入り混じった歌詞だけでなく、色っぽく囁く台詞まで登場します。
水谷さんのハスキーボイスで「教えてね。ねぇ、恋の気分を。」と始まる、
ちょっとユニークな作品でした。
このアルバムには、まだ新婚だった二人の姿が音楽として残されています。
白木秀雄は「父であり兄」?水谷が語った二人の関係
白木さんは、夫としてだけでなく、水谷さんの音楽にも大きな影響を与えました。
水谷さんは後に、作曲家の服部良一さんに甘やかされて育った自分について、
「譜面が読めなくても恥と思わない」ようなところがあったといいます。
そんな水谷さんに対して、白木さんは「音楽はそういうもんじゃない」とたたき込み、
音楽への向き合い方を教えてくれたそうです。
そして白木さんについて、
「私にとって彼は、父であり兄となっていきました」
とも語っています。
夫婦として生活する中で、白木さんは水谷さんにとって、
次第に夫というよりも家族のような存在になっていったようです。
二人の結婚生活には、楽しい思い出だけでなく、
こんなふうに関係が変わっていった一面もあったのですね。
家族そろって番組共演!白木秀雄の自由奔放なパフォーマンス
結婚後、水谷さんと白木さんは、
初代水谷八重子さんとともに『ママと良重とヒデ坊と』という番組にも出演していました。

妻と義母、そして白木さんという家族そろっての出演という、
ちょっと珍しいスタイルの番組だったようです。
番組では、白木さんらしい遊び心のあるパフォーマンスも披露されました。
なんとドラムセットから離れると、スティックを手にして、
初代水谷さんが座っていたソファやテーブルまで叩きながらスキャットしていたそうです。
身近にある家具まで楽器にしてしまうとは、さすがプロのドラマー。
白木さんの自由奔放なキャラクターが伝わってきますね。
ただ、水谷さん自身は後にこの番組について、
「あれほど視聴率が上がらなかった番組もない」と振り返っています。
水谷八重子と白木秀雄が離婚した理由
1959年5月に結婚した水谷八重子さん(当時は水谷良重)と白木秀雄さん。
スター同士の結婚で注目を集めた二人でしたが、わずか4年後の1963年5月に離婚することになります。
いったい、二人の間に何があったのでしょうか。
結婚わずか4カ月で発覚!白木秀雄の女遊び
二人が離婚することになった大きな理由の一つが、白木さんの女遊びでした。

出典:『家庭全科』1960年10月号, 日本国著作権消滅/米国フェアユース,
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=4263280による
水谷さんの回想によると、なんと結婚からわずか4カ月で、
白木さんの女遊びを知ってしまったといいます。
水谷さんは当時のことを、
「酒飲みがどうしてもお酒を止められないように、彼は女遊びが止められなかったんです」
と振り返っています。
さらに、「私がもう10歳くらい齢をとっていたら、
後くされのない彼の女遊びに目をつむっていられたのかもしれません」
とも語っていました。
若かった水谷さんにとって、
白木さんの奔放な行動を受け入れるのは簡単なことではなかったのでしょう。
離婚会見の一言は流行語にもなった
そして1963年、二人は離婚することになります。
離婚の際には劇作家の菊田一夫さんが立ち会い、二人そろって記者会見を開きました。
当時としては珍しいスタイルの離婚会見でしたが、そこで水谷さんが語った言葉が大きな話題になります。
それが、
「愛しているから別れます」
という一言でした。
この言葉は当時、大きな話題となり、流行語の一つにもなりました。
出典:日刊スポーツ
離婚するのに「愛している」とは、なんとも印象に残る言葉ですよね。
結婚生活は約4年で終わることになりましたが、二人の間にあった感情が、
単純に「嫌いになったから別れた」というものではなかったことが、この言葉からもうかがえます。
なお、離婚後、二人が再婚したという確かな情報は確認されていません。
水谷八重子と元夫・白木秀雄の間に子供はいる?
水谷八重子さんと元夫・白木秀雄さんの間に、子供はいません。
子供がいなかった理由について、二人とも女優・ジャズドラマーとして活躍していたため、仕
事が忙しかったことも考えられますが、はっきりした理由は分かっていません。
水谷八重子の元夫・白木秀雄の晩年は? 世界で活躍した名ドラマーのその後
アメリカへ単身渡米!海外でも活躍していた白木秀雄
水谷八重子さんとの離婚後も、白木秀雄さんはジャズドラマーとして活動を続けていました。
1962年にはアメリカのドラムメーカーから声をかけられ、単身で渡米。
現地ではホレス・シルヴァーとも共演しました。
さらに1965年にはベルリン・ジャズ・フェスティバルにも出演するなど、海外でも活躍しています。
ところが帰国後、白木秀雄クインテットではメンバーが次々と脱退。
新しいメンバーで再スタートしたものの、仕事は少しずつ減っていき、1968年にはバンドも解散。
所属していた渡辺プロダクションからも離れることになりました。
晩年は波乱の日々……39歳で迎えた最期
その後の白木さんについては、演奏が以前のようではなくなった、薬物に依存していた、
ゲイバーに入り浸っていたなど、荒れた生活を送っていたそうです。
そして1972年9月1日、白木さんはアパートの自室で亡くなっているところを発見されました。
行政解剖では、死因は精神安定剤の過剰摂取とみられています。39歳という若さでした。
また水谷さんとの離婚後に再婚したという確かな情報も確認されていません。
海外でも活躍するほどの人気ドラマーだった白木さん。
しかし、いろいろなことが重なると、本当に気が滅入ってしまいますよね……。
華やかな活躍の裏で、晩年にはさまざまな苦悩を抱えていたことを思うと、
なんとも複雑な気持ちになります。
まとめ
今回は、水谷八重子さんと白木秀雄さんの出会いから、結婚生活、離婚、
そして白木さんの晩年まで紹介しました。
わずか4年ほどだった二人の結婚生活ですが、振り返ってみると、
出会いから夫婦としての時間、そして別れまで、実に濃い時間だったのではないでしょうか。
白木さんの人生も、華やかな活躍だけではありませんでした。
39歳という若さで亡くなったことを思うと、もっと長く音楽を続けていたら……と、
つい思ってしまいます。
そんな白木さんが残した音楽と、水谷さんとの間にあったさまざまな思い出。
半世紀以上が過ぎた今も、こうして二人のことを知ることができるのは、なんだかいいものですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。


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