あかりをつけましょ~ぼんぼりに~♬
子どもの頃よくうたった方も多いのではないでしょうか。
この歌をひな祭りの日に歌ってはちらし寿司やひなあられなどといった食べ物を
食べたりしましたね。
ちなみにちらしずしやひなあられをたべるのは下記の記事を読んでいただくとわかります。
そんなひな祭りですが、そういえばひな祭りって何をもとに始まったのか
疑問に思ったことはないでしょうか。
そこで今回はひな祭りの風習や起源、歴史などについて紹介したいと思います。
ひな祭りの起源と歴史
ひな祭りの元となったものは中国で誕生した!
そもそもひな祭りというものは、どういうことをきっかけとしていつから始まったのでしょうか。
元となったのは中国の古いお話。
時は古代中国までさかのぼります。
昔、漢の時代に徐肇(じょちょう)という男性がいましたが、
その男性は3人の女の子の父親でした。しかしある日ショックな出来事がおきたのです。
なんと、あろうことに3日のうちに子供が立て続けに3人ともなくなってしまうはめに・・・
あまりの悲しさにひどくショックを受けた男性を目の当たりにした村人たちは、
その子供たちを供養してやろうと、お酒で清め、水葬してあげました。
このことがきっかけとなって中国では「上巳の節句」とよばれる水で身を清め、
厄払いする行事が誕生したんですね。
ひな祭りは今となってはお祝いの時に行われ、非常に喜ばしいものとなっていますが、
起源がまさかこんなに悲しいものだったとは驚きです。
上巳の節句は平安時代になって日本に伝来!
中国で誕生した上巳の節句は平安時代になって、遣唐使により日本に伝わったとされるんですね。
やがて名前を変え、「上巳の祓(はら)い」と呼ばれるようになります。
上巳の祓いは当初体を水で清めるだけのものでしたが、時がたつにつれ、貴族階級の女子の間で人気があった「ひいな遊び」とよばれる人形遊びと混ざり合ったものとなるんですね。
3月3日に陰陽師によって執り行われ、自身の生年月日が書かれている紙の人形を
川に流してお払いをするというものでした。
そう、かつては、飾るのではなく、流していたんですね。
これは、当時乳児の死亡率が今とは比べ物にならないほど高かったことによるもので、
なんとしても自分の子供が無事健康でいられるよう、親の切実な思いがつまった儀式でした。
現在においてもこの風習は残っており、京都にある下鴨神社でご覧になることができます。
江戸時代になり、飾る風習へと様変わり!
江戸時代になると、職人さんの技術レベルが向上し、ひな人形は
立派で美しいものへと変貌をとげます。それによって、ひな人形を流すのはもったいないということになり、流す習慣から飾る習慣へとこのころ出来上がるんですね。
また、当時高価なひな人形を所有していることは、武士の家に嫁入りする際の裕福であるかの
判断材料として用いられるものでもあったんだそう。
そして江戸時代の終わりごろまでには官女や五人囃子などといった人形も加わるようになり、
ますます人気が高まっていきます。
さらに、京都では大道具や小道具も増え、「御殿飾り」とよばれる非常に大規模な飾りへと
なっていきましたが、江戸では御殿飾りは流行らず、代わりに嫁入り道具とひな壇を使用した
「段飾り」として発展していきました。
戦後、現在とほぼ同じスタイルが確立
時は流れ戦後になると、京都をはじめ西日本では主流だった御殿飾りが
大規模で、複雑なつくりをしていたため、組み立てるのに手間がかかり、
しまうのにも大変でした。
そういったことから人気は落ちていき、
百貨店の取扱商品の統一化もあいまって昭和30年代には急激にすたれてしまうんですね。
その後、比較的収納がしやすい段飾りがとってかわるようになり、大きさもコンパクトになっていき、現在ではおなじみのものとなっています。
ちなみにひな人形は関東でよく作られており、埼玉県にある鴻巣市や岩槻市は
ひな人形の生産地としてよく知られています。
[adsense]ひな人形の種類
ひな人形にはさまざまな種類があり、童謡「うれしいひな祭り」でも登場しますね。
しかし、名前は知っていても、その人形が具体的にどんな人形だと聞かれると
答えに詰まってしまう方も多いのではないでしょうか。
それでは順に説明していきますね。
内裏雛(だいりびな)
内裏雛は一番上に飾られている一対の男雛と女雛の人形を指します。
内裏とは、天皇のお住まいを意味しており、すなわち、
天皇と皇后を参考にして作られているんですね。
ところが、童謡「うれしいひなまつり」では”お内裏様とお雛様”という歌詞があります。
これは作詞者であるサトウハチローが男雛のみを内裏雛、女雛のみをお雛様と
勘違いしていたことによるもの。
歌が発表されて以降、この誤用が広く普及する形となり、本来の意味とは違って、
理解している人が多いんだそう。
僕も言われてみれば確かに勘違いして理解していました(笑)
官女
官女とは宮中に仕えている女官のことを表し、上から2段目に配置します。
現在一般的に3人官女が主流となっていますが、
戦前では5人官女や7人官女といったものもありました。
3人官女の場合、真ん中は三方(関東)・島台(関西)、右は長柄(ながえ)、左は、提子(ひさげ)を持っています。
また中央の官女はリーダー格で既婚者であることから、眉をそりお歯黒をしています。
五人囃子(ごにんばやし)
五人囃子は、能のお囃子を演奏する5人の奏者のことで、3段目に配置します。
右から楽器の小さい順にうたい(扇をもつ)、笛、小鼓、大鼓、太鼓と並んでいるんですね。
随身(ずいしんまたはずいじん)
こちらはもしかしたらあまり聞いたことがない方が多いかもしれません。
随身とは右大臣と左大臣を表しており、4段目に配置します。
向かって右が年上である左大臣、向かって左が年下である右大臣なんですね。
仕丁(しちょう)
こちらもあまり聞きなじみがないかもしれません。
仕丁とは、従者と、護衛、雑役(雑務な仕事)を表し、一般的に3人一組で5段目に配置します。
それぞれが怒っていたり、泣いていたり、はたまた笑っていたりすることから、
3人上戸という名称でも知られています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回はひな祭りの風習や起源、歴史、人形の種類について、解説しました。
今日この記事を読んでしっかりと学び、
のちのちお友だちやお子さんなどにひな祭りの由来などを聞かれて、活かされれば幸いです。
ひな祭りのことを書いていたらちらし寿司が食べたくなってきました。
早く食べたい(笑)
それではまた!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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