カンボジアにあるアンコールワットには〇〇があった!?

アンコール・ワット 歴史の雑学

カンボジアで有名な建造物と言えばアンコールワット。

カンボジアの国旗にも描かれており、国の象徴とも言っても過言ではありません。

カンボジアを訪れる機会があったらぜひ訪れてみたいですね。

 

そんなアンコールワットですが、実はアンコールワットには落書きがあったのをご存知でしょうか。そこで今回はカンボジアにあるアンコールワットの歴史と落書きについて紹介したいと思います。最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

 

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そもそもアンコールワットは何か?

アンコール・ワット

みなさんおなじみであるアンコールワット。

それではアンコールワットとはいったいどういったものなんでしょう。

 

その答えは寺院だったんですね。

 

アンコールワットはアンコール遺跡のひとつで、場所はカンボジア北西部に位置し、

12世紀初めに建てられました。

 

かつてはヒンドゥー教の寺院だったのですが、16世紀半ばに、仏教寺院へと変貌を遂げ、

現在もその流れは続いています。

 

アンコールワットが知られるようになったのは日本では、

朱印船貿易によるもので、

当時の日本人はアンコールワットを祇園精舎と勘違いしていたんだそう。

 

そして世界で知られるようになったのは、博物学者兼冒険家であったフランス人のアンリ・ムーオという人が書いた紀行文によって西ヨーロッパと世界に広く知れ渡るようになりました。

その後カンボジアはフランスの植民地となって本格的にアンコールワットの調査が行われるようになり、保存修復や周辺の整備がされるようになったんですね。

 

しかし戦後カンボジアはフランスから独立すると、今度はカンボジアで内戦が起き、

クメール・ルージという武装集団がアジトとしたのですが、

頑丈に作られていてなおかつ楼閣があったので、あたりをくまなく見下ろすことができ、敵がきたかどうかすぐにわかるため、そういう意味でアンコールワットは非常に最適な場所であったのです。

 

アンコールワットはカンボジアにとって非常に大事なものであったため、大型兵器を使用するのは

避けられたのですが、それでも、多少内戦の傷跡を確認することができ、弾痕が今も存在しています。

 

そして内戦が終息しつつあった1992年に世界遺産に登録されることになったのですが、

条件としてアンコールワットを保護する機関を作ってほしいとのことで、

アプサラ機構という保護機関が作られたことによって、アンコールワットは、

無事世界遺産に登録されたのでした。

 

ちなみにアンコールワットの意味なんですが、

クメール語でアンコールは王都、ワットは寺院という意味なんですね。

 

カンボジアのアンコールワットには落書きがあった!?

本題に入ります。

カンボジアのアンコールワットには、なんと本来あってはならない落書きがあるんです!

 

一体どういうことかと言いますと、この落書きは朱印船に乗って、アンコールワットを訪れた

森本右近太夫という武士によって書かれたものだったんですね。

 

その落書きにはこうかかれていました。

 

寛永9(1632)年、父の菩提を弔い、年老いた母の後生を祈願するために、数千里の海を渡り、仏像4体を献上した。

 

つまり彼は戦乱が起きることのないよう、平和を願い、

なおかつ親孝行ををするにあたって、アンコールワットを訪れたんですね。

 

 

 

ちなみにこの落書きはポルポト政権時代に兵士らによって塗りつぶされてしまって、

読むことができなくしまっているので、非常に残念でなりません。

 

その落書きがこちら!確かに塗りつぶされてしまって読みづらくなっていますね。

塗りつぶさないでほしかった・・・泣

 

さいごに

いかがでしたでしょうか。

今回はカンボジアにあるアンコールワットには落書きがあるということについてと

アンコールワットの歴史について紹介しました。

 

まさかアンコールワットに落書きがあったとは驚きですね。

落書きをしてしまうのはよくないことですが、その落書きにはその時代を知るうえで、

とても重要なものとなり、もはやただ落書きではなく、

貴重な資料といっても過言ではありません。

 

アンコールワットに行ったとき、ぜひともこの落書きを見てみることをおすすめします!

調べてたら、僕もアンコールワット行きたくなってきました(笑)

 

それではまた!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

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